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出雲鉄と安来節
いずもてつとやすぎぶし
作品ID46408
著者田畑 修一郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本随筆紀行第一四巻 山影につどふ神々」 作品社
1989(平成元)年3月31日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-09-05 / 2014-09-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 出雲に於ける鉄工業が上古以前からのものであることは、古事記の天叢雲剣の神話によつても想像されてゐるところだ。現在でも、その中心地は、鳥上の地、すなはち船通山を中心にした隣接地方に在る。その歴史の古いわりには、文献が乏しいやうで、島根県史などをしらべても鉄に関するくはしい記載は見あたらなかつた。たゞ、船通山の北にある能義郡比田村には我国鉱業の祖神として金屋子神社があつて、その主祭神は金山毘古命、金山毘売命二柱となつてゐる。祝詞によると、初め播磨国志相郡岩鍋の地に天降り、更に「吾は西方を主る神なれば西方に赴かば良き宮居あらむ」といつて比田村に来られたところ、「宰部氏といふ者、狩山に来り之を見て、如何なる神ぞと問ひ奉りしに、神託して曰く、吾は金屋子神なり、此所に宮居し蹈鞴を立て鉄吹術を始むべし、と宣玉ひ」、是より砂鉄採取法、木炭製法より鉄吹術を伝受すといふ。
 これでも判るやうに、この地方の鉄工業は中国山脈から出る砂鉄を原料としたもので、今日出雲につたはつてゐるいはゆる「鉄穴ながし」といふ砂鉄採取法と、「たゝら」と称する製鉄法とは、甚だ古風なものであり、しかもその古風な「たゝら」によらなければよい鋼が得られないといふ不思議なやうでもある。
 出雲で、現在この「たゝら」吹きをやつてゐるのは、奥出雲の鳥上村に在る「靖国たゝら」と、それから山を背中合にした位置に在る布部村の「桶廻たゝら」の二つであるが、私が見たのは布部村のそれである。
 今日、布部のたゝらを経営してゐる玉鋼製鋼会社の調査によると、同じ中国山脈から出るものではあるが、山陰側と山陽側とでは砂鉄の性質がかなりちがつてゐるといふ。山陰側に出るのは真砂と称し、粒も大きく、黒色の光沢を有する磁鉄礦で、不純物も少いさうだが、山陽側に出るのは赤目と称し、粒も細かく、褐色を帯び、燐、硫黄、酸化チタニウムの含有量も真砂よりは多いといふ。つまり、中国山脈を間にしたゞけで、その気候風土により風化の工合がちがふところからさういふ差が生じたのではないか、といふ技師の説明だつた。
 話は元へもどるが「鉄穴ながし」といふのは、砂鉄を含む花崗岩の風化した斜面などを鍬や鶴嘴で崩し、これを水で流しながら採取するので、この方法は今でもやつてゐるが、これがいかに古来から盛んに行はれたかは、堀尾氏の治下に「鉄穴ながし」による砂の流出が甚しく、宍道湖へ流入して年々埋まり要害の障りになるといふ理由で停止を命じたことがあるのを見ても判るし、のちに、松平氏の治下にあつても、斐伊川の水路を閉塞するので、仁多郡山中の鉄穴二百余ヶ所に及んでゐたのを六十ヶ所に減じたといふのを見ても、よほど大仕掛なものだつたことが想像される。
 以上は砂鉄採取に関することであるが、その製鉄法たる「蹈鞴」といふのは、古くは「野だたら」といつて一定の地に固定せずに舟形の炉を設けて製…

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