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弘法大師と景教との関係
こうぼうだいしとけいきょうとのかんけい
副題一名、物言ふ石、教ふる石
いちめい、ものいういし、おしうるいし
著者ゴルドン エリザベス、アンナ
翻訳者高楠 順次郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「弘法大師と景教」 丙午出版社
1909(明治42)年9月14日
入力者はまなかひとし
校正者フクポー
公開 / 更新2019-03-21 / 2019-02-22
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#ページの左右中央]


本書はゴルドン夫人の艸せられしを、可成原意を損せざる樣に注意したるも、譯文拙劣にして全豹を示すこと能はざるを憾む、原意の徹底せざる所はその責譯者に在り。夫人はその老躯を以て今夏再び嚴島に游び、更に讃岐に渡り、大師の降誕地を訪ひ、遂に高野山の靈廟に詣せり、夫人の大師追慕の念深きを知るべし。
明治四十二年九月
高楠順次郎


[#改ページ]
「我れ爾曹に告げん、此輩もし默止せば
 かの石は直ちに呼號すべし。」(耶蘇)
 佛教に關する予が智識は至て乏しく、唯日本在住の間に於て斷片的に學得し、且つ有名なる支那學者に就き、法華の法門を研究したるが、今某大徳の需に應じて、覺束なくも一文を草して世に公にせんと欲する所以なり、この支那學者は曾て馬鳴の起信論を譯し、その進歩せる大乘教理と、耶蘇教義との間に於て驚くべき同似點を發見したり。予もまた佛教徒たる諸友の厚意によつて、佛耶の兩教義を比較し、其間に於て喜ぶべき思想の融和を認めたり。假令語句の間に於て全然同一なるものなく、且つ現時に於ては精確なる歴史上の連鎖を追跡すること不可能なる如きも、此兩者の間には眞正なる精神的連鎖の慥に存在せることを感ぜざるを得ず。今予は不幸にして此大問題に關し無智なりと雖も、益進で之を攻究し、一層深く教理に悟入せんことを希望して止まざることを茲に表白するものなり。
 若しその古傳の研究愈進み、兩教聖典の對照その宜しきを得ば、現に不可能視せらるゝ歴史上の連鎖も、遂に發見し得らるべく。從つて夫の精神的連鎖も愈明確なる根據を有するに至り、佛耶兩教徒相互の利益となるべきは明白なり。
 我聖書中に云へることあり、「ベレア」の民は小亞細亞の他の都府の民よりも尊し、何となれば彼等は日々聖書を讀み、その事の果して然りしや否やを尋究せりと。凡そ相互の教義を公平明白に、且つ正直に比較攻究することは、兩者相損することなきは勿論、現時尤も必要を感ずるは、兩教中眞に精神ある人々が、相互にその寳藏を闡明し、明白に兩者の教義を了解するにあり。何となれば精神界の事物は精神なき人に對しては遂に愚盲不了たるを免る可からざればなり。
 予が昨夏此の風光明媚なる勝區に遊樂せる間に於て、最も深き印象を與へたるものありとせば、そは弘法大師の感化の偉大なることにてありき。此に於て予は從來大師に就ては、唯その名の外、殆一切を知らざりしことを愧ぢざるを得ず。而るに今その名の斯くも屡話頭に上るを聞き、且つ千百年の後に於てその感化、尚民心を支配し、種々の方面に於て性格の印象を留めたるを見るに及びては、予は實に大師が如何に驚嘆すべき人傑にして、その性格の如何に強固なりしかを感賞せざるを得ざりき。
 我英國の戯曲詩家セークスビーアは説けり。
“The evil that men do lives
after them - the…

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