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少年・春
しょうねん・はる |
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作品ID | 46451 |
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著者 | 竹久 夢二 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「童話集 春」 小学館文庫、小学館 2004(平成16)年8月1日 |
入力者 | noir |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2006-08-01 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 15 ページ(500字/頁で計算) |
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1
「い」とあなたがいうと
「それから」と母様は仰言った。
「ろ」
「それから」
「は」
あなたは母様の膝に抱っこされて居た。そとでは凩が恐しく吼え狂うので、地上のありとあらゆる草も木も悲しげに泣き叫んでいる。
その時あなたは慄えながら、母様の頸へしっかりとしがみつくのでした。
凩が凄じく吼え狂うと、洋燈の光が明るくなって、卓の上の林檎はいよいよ紅く暖炉の火はだんだん暖くなった。
あなたの膝の上には絵本が置かれ、悲しい語のところが開かれてあった。それを母様は読んで下さる。――それはもうまえに百遍も読んで下さった物語であった。――その時の母様の顔色の眼は沈んで、声は低く悲しかった。あなたは呼吸をころして一心に聴入るのでした。
誰ぞ、駒鳥を殺せしは?
雀はいいぬ、われこそ! と
わがこの弓と矢をもちて
わが駒鳥を殺しけり。
これがあなたの虐殺者というものを聴知った最初であった。
あなたはこの恐ろしい光景を残りなく胸に描き得た。この憎むべき矢に射貫かれた美しい暖い紅の胸を、この刺客の手に仆れた憐れな柔かい小鳥の骸を。
咽喉が急に塞がって、涙があなたの眼に浮かぶ。一滴また一滴、それが頬を伝って流れては、熱いしかも悲しい滴りが、絵本のうえに雨だれのように落ちた。
「母様、駒鳥は可哀そうねエ」
「坊や、泣くんじゃないよ」
「でも母様、雀が……雀が……こ……殺しちゃったんだもの」
「ああ、そうなの。雀が殺してしまったのよ。本にはそう書いてありますけれど、坊やは聞いたことがありますか」
「何あに」
絵本は、その悲しい話の半面を語ったに過ぎなかった。他の半面は母様が知っていなさった。駒鳥は殺された。殺されて冷い血汐のなかに横わったことは事実であった。けれども慈悲深い死の翼あるその矢のために、駒鳥は正直な鳥の、常に行くべき処へ行った。そしてそこで――ああ嬉しい――彼は先へ行って居た自分の最愛の妻と子にそこで逢ったのでした。
「駒鳥の親子は、今はみんなそこに居るんですよ。この世に住んだうちでは一番しあわせな駒鳥なんだよ」と母様はあなたの涙に濡れた頬にキッスしながら仰言った。
大きく見ひらいたあなたの眼には、もう涙は消えていた。あなたは正直な鳥の行くべき処に居る駒鳥のことを遠く思いやった。駒鳥の眼、駒鳥の紅い胸は再び輝いて居た。彼は囀り、歌い、そして妻子を連れて枝から枝へと飛び移った。小さい話を繕うことも、小さい人の心を繕うことも、小さい靴下を繕うことのように母様は実にお手に入ったものであった。こんな時にはいつも、あなたの靴下からは膝小僧が覗いて居た。日の暮れには、きまって靴下に穴があいて、そこから泥だらけな膝が見えるのでした。
「まあちょっと御覧なさい、たった今洗ってあげたばかりじゃありませんか」といって、母様はあなたがおよる前に、湯殿へ連れておいでにな…