えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
盆踊り
ぼんおどり |
|
作品ID | 46463 |
---|---|
著者 | 田畑 修一郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆19 秋」 作品社 1984(昭和59)年5月25日 |
入力者 | 土屋隆 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2006-09-29 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
東京に住んで十一年になるが、ずつと郊外だつたから私は東京の夏祭がどんなものかまるで知らない。私には東京の夏は暑くて殺風景だ。ごくまれに、手拭と黒褌とを入れた袋をぶら下げて神宮のプールに出かけ、歸りに新宿の不二屋あたりで濃い熱い珈琲をのんだり、冷房裝置のある映畫館へ涼みがてら出かけたりするのが、東京の夏の樂しみといへば樂しみだつた。
しかし、殺風景に感ずるのは私が田舍育ちだからで、東京生れの人にはもつと身についた微妙な樂しみがあるのだらう。私は生れ故郷と殆ど縁がなくなつた今でも、漠然と田舍の夏を豐富なものに感ずるのは、子供の時からそこに馴染んで來たからにちがひあるまい。
市内に住んでゐたこともなくはないが、學生時分のことで、夏休になるとさつさと田舍へ歸つて行つたから、東京の夏祭を知らないのも無理はない。私の田舍では、住吉神社といふ郷社の祭を「祇園さま」と呼んでゐた。まる一週間だから、隨分永い祭だつた。町の本通りを上から下まで十四五町か、或ひはもつと長いだらう、家ごとに柳の枝に薄い日本紙を四角に切つて造つた花をくつゝけ、樽だの桶だのゝ中に立てゝ家の前に飾つた。それには皆盆灯をつけたから、夜になると白い紙の花が明りを受けて浮き立ち、どこまでもつゞいた。
盆灯には雜誌の口繪か何かを切り拔いて貼りつけたのもあつたが、大抵はそれぞれ繪を描いたもので、子供だつた私達は一つ一つ見て歩いた。今思ふと、一體あんな繪を誰が描いたんだらうといふ氣がする。繪心があるわけでもあるまいのに、とにかくそれは妙なものは妙なものなりに子供を樂しませるに足りる繪だつた。きつと、その拙い變てこなところが面白がらせたのだらう。川柳を書いた漫畫もあれば、古池や蛙とびこむ水の音と記して傍に小さく蛙らしいのが逆立ちしてゐたり、小野道風苅茅道心、うらみ葛の葉などを現した繪もあつた。さうかと思ふと、そこの家の子供がお習字風に書いた字もあるし、智慧がなく日の丸と軍艦旗を描いたのもあつたし、多分山水畫のつもりだらうが墨が滲んで眞黒になり、何だかさつぱり判らないのもあつた。私達はそれを一々、まづいだのうまいだの、笑ひ聲を立てたりして町を上から下まで飽きずに見て歩いた。
さういふ一週間もつゞくのは、お祭りはお祭りだが客寄せの意味もあつたことに、ずつと後で氣がついた。そこは一寸した町だが、昔から近在のお百姓達を得意にして成立つた所で、町の繁榮策として近在から人を引きつけるためだつたらしい。例の紙の花は、それを田に差して置くと蟲がつかぬといふ云ひつたへがあつて、祭の最後の日には近在のお百姓達が勝手にそれを持ち歸つてもいゝことになつてゐた。浴衣がけで尻からげにし、團扇を腰にさしたお百姓が、何だか氣まり惡げに手を伸ばして紙の花の枝を拔きとり、扱ひにくさうに持つて歸るのを私はよく見た。その云ひつたへはお百姓からではな…