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海妖
かいよう
作品ID46475
著者牧 逸馬
文字遣い新字新仮名
底本 「世界怪奇実話Ⅰ」 桃源社
1969(昭和44)年10月1日
初出「中央公論 第四十五年第九號五百十二號」中央公論社、1930(昭和5)年9月1日
入力者A子
校正者mt.battie
公開 / 更新2023-12-05 / 2023-11-26
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 有名な巴里の新聞マタン紙の創設者の一人に、アルフレッド・エドワルドという富豪がある。マタン紙は、今では相当古く、その言論など世界的に権威あるものだが、エドワルド氏は、創業当時から莫大な出資をして、この事件のあった一九一一年の頃は、重要株主としてマタン社の財政を抑えていたのみならず、経営や、編輯の表面にまで活躍していた。で、巴里の百万弗新聞記者、Matin の実際の社長、と言えば、この Monsieur Alfred Edwards のことで、当時欧米の新聞界に鳴り響いた人物だった。非常な精力家、博識家で、算盤とペンを両手に使いこなしたところなど、今日のこの尖端ジャアナリズム時代を招来した最も記憶さる可き草分けの一人と言われている。其の年は、欧羅巴の記録にちょっと類のない暑かった年で、七月に這入ると間もなく、エドワルド氏は、極く親しい友人夫妻を数組、善美を尽した私有快走船エイメ号に招待して豪奢な水上の避暑旅行に出た。何しろ巴里一流の趣味人をすぐった此の一団だから、主人役のエドワルド氏夫妻を中心に、甲板の遊戯、談笑、舞踏、甘美な食卓と諧謔を載んだエイメ号は、満々たる冷風を含んで主客とも満足以上のうちに、七月二十一日月曜日、和蘭の側から、ライン河へ這入っていた。
 気まぐれの、急がない旅である。景色の好いところへ来ると半日も停船して釣竿を下ろしなどしながら、一九一一年七月二十四日の夜エイメ号―― The Aim[#挿絵]e ――は、ライン中流の河床に錨を投じて、流れに押され乍ら一夜を明かすことになった。あの「ジャネットの悲劇」として西半球を騒がし、今だに忘れられずにいる神秘な事件は、この夜、投錨後間もなくの出来事だった。
 和蘭の国境を離れて、まだ幾らも航行していない。その日の予定は、ウィイゼル泊りだったが、焼くような暑い日で、殊に夕方に進むにつれ、遮る物のない河上は一面の斜陽を照り返して、甲板の日覆の下に出ても、風一つ動かない暑さだった。陽は沈んでも、熱気は残っている。一行は、噴き出る汗を持て余して、何をする気もなく、甲板に揺り椅子を並べてしきりに冷やし三鞭の杯を傾けていた。満潮が重く渦巻いて、いつもよりは速い水勢である。船は、流れに逆らって、日の入り時から、眼に見えて脚が遅くなった。それに、今夜の錨はウィイゼルという旅程ではあったが、やっと今、エメリッヒ市と平行のところまで進んだばかりで、その、海のように広いライン河の岸に、中世紀的な城壁に囲まれた古いエメリッヒの町の屋根屋根が見える。これからウィイゼル迄は可成りの航程だし、其処は、折柄灯のつき初めた河岸の町を望見して絵のような景色なので、一つにはそれが、エドワルド氏の愛妻の気に入ったのだろう。この若いジャネット夫人の発議で、急にその場に錨を投げて一晩船を流すことに決まった。ところで、この Madam …

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