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カラブウ内親王殿下
カラブウないしんのうでんか
作品ID46476
著者牧 逸馬
文字遣い新字新仮名
底本 「世界怪奇実話Ⅰ」 桃源社
1969(昭和44)年10月1日
初出「中央公論 第四十五年第十二號五百十五號」中央公論社、1930(昭和5)年12月1日
入力者A子
校正者mt.battie
公開 / 更新2025-06-29 / 2025-06-29
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 食卓の人々は、つと顔を見合わせた。かすかに叩戸の音が聞えた――ような気がしたのだ。
 夜の八時過ぎだ。おそい晩飯だ。小作人ドルフ・ホルトン―― Dolf Horton ――の家である。野良を終っても、何やかや仕事が残って、いつも食事が遅れる。英吉利の四月は、春とはいってもまだ冬の感じだ。八時にはもう真っ暗で、ことに今夜は霧がある。しっとり濡れた濃い闇黒が戸外に拡がって、この、ブリストル市に通ずる田舎道は、覆をしたようにしずかだった。
 英国グロセスタシャア州、アルモンズベリイ市―― Almondsbury, Gloucestershire ――の町外れである。
 農夫ホルトンの一家が台所につづいた些やかな食堂で簡単な夕食をしたためている。いま叩戸の音がしたようだが、耳を澄ますと何も聞えないので、一同はまた黙ってフォウクを取り上げた。
 と、ふたたび細君が皆を制して、
「あら、誰か来ていますわ」
 聞耳を立てた。やはり玄関に物音がする。確かにノックだ。あたりを[#挿絵]るように、だが二、三度、今度は、はっきり聞えた。
 内気な訪問者らしい。気兼ねしながら、しきりに表ての戸を叩いているのだ。
「何人でしょう、いま頃」
「浮浪人かも知れないよ」ホルトンはナプキンを置いて、椅子をずらした。「おれが出てみよう」
「宜御座んすよ」と細君は起って、「わたしが出ますわ、もしか変な人でしたら、大きな声で呼びますから――」
 平和な農村――というのは、詩や絵で言うことで、実際は、当時、手工業から工場制度に移ろうとして、人類の経済生活を根本から揺すぶったいわゆる産業革命時代、その震源地の英吉利である。新発明の機械に職を奪われた失業者の大群が、街道の漂盗と化して、日夜大都会から大都会へと鎖を引くように浮游している。放火、窃盗、押込み、強請などは毎度のことで、この移動人口の流路に沿った民家では真に人心兢々たるものがあった。おまけにこの霧の深い闇夜だ。遠慮ぶかい叩戸に隠れて、何んな狂暴なお客が飛び込まないとも限らない――。
 ホルトンのおかみさんは怖なびっくりで玄関の戸をあけた。
 濃い煙りのような霧が、白い渦を捲いて流れ込んで来る。
「はい」濡れた夜の空気が冷たく低迷している戸外を透かし見ながら、「はい、何誰?」
 眼は闇黒に慣れていないし、うしろに灯を背負っている。はじめはちょっと何も見えなかった。
 すると、訪問者は、いくら叩戸しても応答がないので、諦めて、一度往来へ出たものらしい。戸が開いたのを見て引っ返してくる様子だ。さやさやと微かな衣擦れの音が、闇黒の奥から近づいてくる。
 ――おや、女のようだが、どこか知っている家の人かしら? と、思った時、暗いなかから浮かぶように光線の範囲へ踏み込んで来たのを見ると、何とも言いようのない異装の人物である。
 おかみさんは、無意識…

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