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消えた花婿
きえたはなむこ
作品ID46492
著者牧 逸馬
文字遣い新字新仮名
底本 「世界怪奇実話Ⅰ」 桃源社
1969(昭和44)年10月1日
入力者A子
校正者mt.battie
公開 / 更新2023-06-29 / 2023-06-19
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 ブライトンと言えば、倫敦を控えて、英国第一の海岸の盛り場である。
 殊に週末旅行に持って来いのところから、日曜が賑う。
 この三月二十九日も、日曜日だった。
 海の季節としては、すこし早過ぎるが、ちょうど復活祭のお休みとかち合ったのと、何しろお天気がいい。英吉利のこの時候は、大抵嫌な氷雨が降り続くのだが、今日はからりと晴れ渡って、微笑する海だ。潮のにおいを運んで来る風だ。外套を脱いだ女達、霧と煤煙と事務机を忘れたサラリイマンの群、大変な人出だった。
 有名な磯伝いの散歩街は、着飾った通行人の行列で、押すな押すなである。みんな、何か素晴らしいいたずらはないかといったような噪気ぎ切った顔で歩き廻っている。
 エンマ・ダッシュも、その華やかな散歩者の一人だった。最初の若さはずっと通り越したがそれでも、まだ充分美しいところの残っている女で、実際、自分では、「約二十九歳」などと言っていた。
 が、血色のいい、綺麗な顔をしていて、身体つきも、すんなりと悪くない。殊に、眼に魅力があった。本人もその眼には絶大な自信があって、老嬢らしい冒険心から、よく男達へ秋波のような視線を送っては、ひとりで悦んでいたものとみえる。この場合がそうで、それに端を発して、この、人間の歴史初まって以来最も不可解な一つとされている「消えた花婿」事件の展開となったのだが、僕はこれを、最も不可解な中でも最も不可解な出来事であるとするに、[#挿絵]躇しない。
 男盛りといった、厳丈な体格の中年の紳士が、向うからやって来てエンマと擦れ違った。そして、通りすがりにちょっと、エンマへ微笑して行ったのだ。エンマ・ダッシュも、例の得意の流眄を呉れて、にっこりしたことは勿論である。男に聞えるように、煙りのような陽気な笑い声を立てて、何気なくとおり過ぎた。暫らくその儘の歩調であるいて行ったが、直ぐ男が引っ返して来ることを期待するかのように、それとなく足を緩めて、待ち合わせるような態度を示した。
 立ち停まって後を見送っていた男は、果してこの招待的な意味を汲んで、廻れ右をした。急ぎ足に、たちまち追いついてきた。軍人のような、陽に焼けた顔の、立派な紳士である。
 騎士的に、慇懃に帽子を脱って、
「もし人違いでしたら御免下さい」てきぱきした、男らしい声だ「確かに何処かでお眼に掛ったような気がするんですが――。あそうそう、あ、そこのダンスで――あの、会館の慈善舞踏会。御存じでしょう、私を。アラン・マクドオナルドというんです。マクドオナルド船長――キャプテン・マクドオナルド、まさかお忘れになりはしないでしょう?」
 一息に言って、にこにこ覗くように女の顔を見た。
 エンマ・ダッシュ嬢も、自慢の眼へ一層の魅力を罩めて、適度にほほえみながら、
「あら、左様でございましたか。ついお見外れ致しまして――」若わかしい媚態だ。「ええ…

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