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開墾
かいこん
作品ID46500
著者高村 光太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻14 園芸」 作品社
1992(平成4)年4月25日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-01-02 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私自身のやつてゐるのは開墾などと口幅つたいことは言はれないほどあはれなものである。小屋のまはりに猫の額ほどの地面を掘り起して去年はジヤガイモを植ゑた。今年は又その倍ぐらゐの地面を起してやはりジヤガイモを植ゑるつもりでゐる。外には三畝ばかりの畑を使はしてもらつて、此処にいろいろの畑作をやつてゐる。今のところそれだけである。無理をするのがいやなので自分の体力と時間とに相当したことだけを今後もやつてゆくつもりである。無理に成績をあげるやうなことをすると、自分の芸術上の仕事にもさしひびくし、体力をも酷使するやうになるに違ひないので、その範囲を明かに判断してかかつてゐる。体力酷使といふことは、一面自分でも大層勉強してゐるやうに感ぜられ、農家などにあつては、労働といへば体力酷使を意味し、引いては体力酷使をしなければ労働でないやうな錯覚を持つに至り、便利な機具などを使ふのは幾分労働忌避を意味するもののやうに考へられる傾さへあるが、これはまことに馬鹿げたことで、体力を酷使せずに必要なだけの仕事の出来るのを目標とせねばならないこと言ふまでもない。むやみに計画を壮大にしてそのために神身を労し過ぎ、仕舞には何のために苦しんでゐるのか分らなくなり、果ては絶望的破壊的な考へ方まで抱くに至るやうな例もままあるのは気の毒である。分相応よりも少し内輪なくらゐに始めるのがいいのだと私は信じてゐる。
 そんなわけで、私は極めて楽な程度の開墾のまねことのやうなことを去年の雪解後に始めたのであるが、驚いたことに、そんな程度のことでさへ素人の私をおびやかすに十分であつた。私の掌には長年の鑿だこが出来てゐて力仕事にかけては随分自信があるのであるが、鑿のあたる所と、馬鍬のあたる所とは違ふと見えて、僅かなジヤガイモ畑の開墾で右の掌に血まめが三つばかり出来た。それがつぶれて一旦治つた後、皮下の深い所が膿み始めて、最初は痒く、やがてヅキヅキと痛み出して一週間ばかりは安眠も出来ない始末となつた。手首一面に腫れて二の腕の方までそれの犯して来る様子が物凄いので、たうとう花巻町に出かけて花巻病院長さんに見てもらひ、その夜すぐに右掌を切開して膿を出していただいた。それから毎日ガーゼの取りかへに病院通ひをするため一ヶ月足らずは花巻町の院長さん邸に逗留しなければならなかつた。その一ヶ月は丁度五月から六月にかけてのことなので畝作り、播種、施肥、その他栽培に一番肝要な時期だつたわけであるから、不在のままだつた私の開墾も畑もすつかり仕事が遅れてしまつた。六月末に山に帰つてみると、エン豆、インゲン、ジヤガイモなどはどうやら物になつたが、稗の苗などは雑草にすつかり食はれてしまつてゐた。一旦はびこり出した雑草はまだ不自由な右手の働きぐらゐでは中々退治がむつかしく、私の畑は雑草の中にいろんな作物が居留してゐるやうな状態となり、実にさん…

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