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気仙沼
けせんぬま
作品ID46502
著者高村 光太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆79 港」 作品社
1989(平成元)年5月25日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-01-30 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 女川から気仙沼へ行く気で午後三時の船に乗る。軍港の候補地だといふ女川湾の平和な、澄んだ海を飛びかふ海猫の群団が、網をふせた漁場のまはりにたかり、あの甘つたれた猫そつくりの声で鳴きかはしてゐる風景は珍重に値する。湾外の出嶋の瀬戸にかかるとそこらの小嶋が海猫の群居でまつ白だ。此鳥の蕃殖地としては青森県の蕪嶋が名高いが、此の辺にもこんなに沢山棲んでゐようとは思はなかつた。彼等はいち早く魚群を見つけて其上に円陣をつくる。彼等と漁船とは相互扶助の間柄だと人がいふ。「名ばかり」といふ礁を通り過ぎて外洋に出ると、船は南方二十余キロの金華山を後ろにして針路一直線に北に向ふ。水温二〇度、気温二七度、東方右舷の水平線に有るか無しかの遠洋航路の船が数分間置きに一定の煙を空に残してゆく。この水平線上の電信記号がいつまでも消えない。暮かかる頃、岩井崎から奥深い気仙沼湾にはひる。湾内は浅瀬で、もう暗やみの水路が甚だ狭い。大浦の陸とすれすれに進み、浮標の灯をたよりに入港する。午後七時半。
 船から見た気仙沼町の花やかな灯火に驚き、上陸して更にその遺憾なく近代的なお為着せを着てゐる街の東京ぶりに驚く。賑やかな海岸道路の宿屋には、もう渡波から此所に来てゐる虎丸一行御宿の大きな立札が出てゐる。玉錦一行の割当人名が出てゐる。私は或る静かな家に泊つたが、夏に旅行する者の必ず出会ふ旅館の普請手入といふものに此所でも遭つて当惑した。勉強な大工さんが夜でもかんかんやるのである。さうして在来の建方を「改良」して都会風な新様式に作りかへる。
 柳田國男先生の「雪国の春」といふ書物をかねて愛読してゐた私は粗忽千万にも気仙沼あたりに来ればもうそろそろ「金のベココ」式な遠い日本の、私等の細胞の中にしか今は無いやうな何かしらがまだ生きてゐるかも知れないなどと思つてゐた。気仙沼には近年大火があつたといふ。大火はほんとに業をする。
 翌日は朝からがんがん暑い此新時代の町を歩き廻る。社会施設の神経がひどく目につく。さういふ事に余程熱心な自治体らしい。古刹観音寺にゆけば婦人会の隣保事業があり、少林寺の焼あとにゆけば託児所で子供が鳩ぽつぽを踊つて居り、天満宮の山に登れば山上に公衆用水道栓があり、海の見晴らしにゆけば日本百景当選の巨大な花崗石の記念碑があり、あらゆる道路に街灯が並び、大きな新築の警察署があり、宏壮な小学校にはテニスの競技があり、学術講演会があり、一景嶋近辺へゆけば塩田何々町歩を耕地に整理して水田の何々町歩を得たといふ立札が立つて居り、夜になれば鼎座に浪華節があり、シネマがあり、公娼が居なくて御蒲焼があり、銀座裏まがひのカフエ街には尖端カフエ世界、銀の星、丸善がある。「車引いて商売する。悪いことあるか。」朝鮮人のアイスクリイム行商が反抗する。「ある、ある」とお巡りさんが腕をねぢつて連れて行つてしまふ。おそろしく…

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