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菊の根分をしながら
きくのねわけをしながら
作品ID46512
著者会津 八一
文字遣い新字旧仮名
底本 「花の名随筆3 三月の花」 作品社
1999(平成11)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-01-03 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昨日が所謂彼岸の中日でした。吾々のやうに田舎に住むものの生活が、これから始まるといふ時です。私も東京の市中を離れた此の武蔵野の畑の最中に住んで居るから、今日は庭の隅に片寄せてある菊の鉢を取り出して、この秋を楽しむ為に菊の根分をしようとして居るところです。実は私は久しいこと菊を作つて居るのであるが、此二三年間は思ふ所あつて試にわざと手入れをしないで投げやりに作つて見た。一体菊と云ふものは其栽培法を調べて見ると、或は菊作りの秘伝書とか植木屋の口伝とかいふものがいろ/\とあつて、なか/\面倒なものです。これほど面倒なものとすれば、到底素人には作れないと思ふほどやかましいものです。そして此色々な秘訣を守らなければ、存分に立派な菊が作られないといふことになつて居る。ところが私は昨年も一昨年もあらゆる菊作りの法則を無視して作つて見た。たとへば春早く根分けをすること、植ゑる土には濃厚な肥料を包含せしめなければならぬこと、鉢はなるべく大きなものを用ゐること、五月、七月、九月の芽を摘まなければならぬこと、日当りをよくすること、水は毎日一回乃至数回与へなければならぬこと、秋になつて又肥料を追加し、雑草を除くことなどと、まだ/\いろ/\の心得があるのにも拘らず、二三年の間は私はまるで之をやらなかつた。根分もやらず、小さい鉢に植ゑた儘で、土を取り替へもせず、芽も摘まず、勿論水も途絶え勝であつた。云はゞあらゆる虐待と薄遇とを与へたのだ。それでも秋になると菊は菊らしくそれ/″\に蕾が出て、綺麗な色で、相当に優しい花を見せてくれた。それで考へて見れば菊の栽培といつても絶対的に必須なものでもないらしい。手入れをすれば勿論よろしい。しかし手入れが無くとも咲く、植木屋などがよく文人作りなどと名をつけて売つて居るのは私などから見れば、いつも少し出来過ぎて居て、かへつて面白くない。私の庭の隅に咲いた菊の花の天然の美しさにより多く心が惹かれぬでもない。
 併し考へて見ると、世間で観賞されて居る多数の植物の中では温室の中で一定の化学的成分を含んだ肥料を施さなければ生長しないもの、湿度や温度を綿密に塩梅しなければ出来ない物、特別な光線を与へなければならぬものとか色々なものがある。保護が無ければすぐ枯れて仕舞ふ。斯ういふ植物と、虐待、欠乏の中にあつて、尚強い根強い力を振り起して何時までも生き長へて美しい花を開く私の庭の菊の如きものと比較して見ると、無限の感慨が生ずるのである。之を人にたとへて云ふならば名望のある富貴の家に生れて、健全な父母を保護者として育ち、求め得ざるは無く、欲して遂げざるはなく、教育も思う儘に受けられ、何一つ事を欠かぬといふ人もあらう。又相当に艱苦にも、欠乏にも堪へて行かなければならぬ人もあらう。一体今の世の中には、放置せられて居て、なほ自分自身の根強い力を振り起して軈ては美しい花を咲…

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