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![]() たぬきじる |
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作品ID | 46519 |
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著者 | 佐藤 垢石 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆59 菜」 作品社 1987(昭和62)年9月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2007-01-01 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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一
伊勢へななたび熊野へさんど、と言ふ文句があるが、私は今年の夏六月と八月の二度、南紀新宮の奥、瀞八丁の下手を流れる熊野川へ、鮎を訪ねて旅して行つた。秋の落ち鮎には、さらにも一度この熊野川へ志し、昭和十五年の竿納めとしようと思つてゐたところ、心なき颱風のために山水押しだし、川底荒れてつひに三度目の旅は、あきらめねばならなかつた。
二度目のときの帰り路は、やはり六月のときと同じやうに、新宮市から木の本へ出で、そこから三時間ばかり省営自動車に乗り、十里あまりの長い矢の川峠(やのこ)を越えて、尾鷲へ下つたのである。矢の川峠は、紀伊と伊勢と大和の三国の境をなす大台ヶ原山を主峰とした台高山脈が南に走つて高峰山となり、その裾を熊野灘に浸たさうとする肩の辺にあつて、なほ標高二千五百尺。随分難路を重ねた高い峠だ。
大台ヶ原を中心とした深い天然林は、昔から猪の産地で、こゝの猪は味に於て国内随一であるときいてゐた。これにつぐのが伊豆の天城山、丹波の雲ヶ畑、日向の霧島山あたりで猟れるものであるさうだが、紀州の猪が最も味がよろしいと言ふのは、こゝが団栗林に富んでゐるからであると言ふ。団栗は、楢の木に実るのが第一に粒が大きく次が椚、樫と言ふ順になる。猪は団栗が大好物で、楢の実をふんだんに食つた奴こそ、猪肉の至味として人々から珍重されてゐるのである。
折柄、八月の末近く南国とは言ひながら、車の窓に展転する峠の山々に、どこか秋の気が忍び寄つて、山骨を掩ふ楢の木の緑の葉も、[#挿絵]彩のさかりを過ぎてゐた。やがて、遠からず団栗の果も色づいて、猪の肉を肥やす季節がくるのであらうなどゝ、まことにのんきなことを考へながら、峠のてつぺんの茶屋の縁台に梨子を噛つて、四方の風景にながめ入つた。
ところで私は、大した事件を発見した。それは矢の川峠を下つて、尾鷲駅から汽車に乗るとき買つた大阪新聞の産業欄に、このたび理化学研究所で、団栗から清酒を醸造することを発明し、全国各県の県農会に依頼して、大大的に団栗を集めると言ふ記事を読んだのである。そして、その記事の終りの方に、和歌山県農会当局の談として、本県でも理研からの依頼により晩秋になつたならば、全県の小学生を動員して、山林から盛んに団栗を拾はせる。たしかな見当はつかないが、およそ全県で二三万石は集るであらう。と、言ふのがあつたのだ。
いままでは、団栗とはたゞ俳味を帯びた山野の邪魔物であるとしか思つてゐなかつたのであるけれど、これによると吾々人生と甚だ密接の関係を持つてきたやうだ。吾々、嗜酒漂泊の徒は、声をあげて万歳を叫ばねばならない。
だが、私はこの記事を一読してなんとなく、一抹の虚寂を感じた。と、言ふのは猪の身の上のことである。団栗の稔りの秋に、小学生が大挙して山野を跋※[#「足へん+歩」、56-3]すれば、猪群は忽ち食糧難に陥る…