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婦人解放の悲劇
ふじんかいほうのひげき
作品ID46561
著者ゴールドマン エマ
翻訳者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」 學藝書林
2000(平成12)年12月15日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2007-01-12 / 2014-09-21
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 人類の間に存する種々なる集団の根本的差異を論ずるあらゆる政治及び経済上の学説、階級と種族の差異、女権と男権とを画する全ての人工的境界線などいふ様々なものが在るにもかゝはらず、この様な色々な差異が次第に成長して何時か完全な一つのものとなるの日が来るといふ確信を私が抱いてゐる者であるといふことを了め含んで置いて頂きたい。
 と云つて私はなにも平和条約を提供しやうといふのではない。今日に於ける社会生活の全般を通じて幾多の矛盾せる利害関係の勢力から生じて来る社会的闘争は正しき経済上の原理を基礎とした社会的生活改造の実現と同時に微塵に粉砕せらるゝであらう。
 両性及び個人間の平和もしくは調和といふことは必ずしも人類の浅薄なる平等といふ事に基するものではない。或は又個性及び個人の特長を没却するといふことでもない。最近の将来が解決しなければならない今日当面の問題は、如何すれば人は自分自身であると同時に他の人々と一つになり、全人類と深く感ずると共に各自の個性を維持してゆけるかといふことである。これが群集と個人と、真の民主々義者と個人主義者と、或は男と女との如何を問はず悉く何等の反抗衝突なしに握手し得る根底土台であると私には思はれる。私どもの座右銘は「おたがひに許しあへ。」と云ふのではなく、寧ろ「おたがひに理解せよ。」と云ふのでなければならない。よく引照せられるスタエル夫人の「全てを理解するといふことは全てを許すことである。」といふ文句に対して私はこれまで特に感心したと思つたことは一度もない。その文句にはなんとなく懺悔室の臭ひがついてゐる。自分の同胞を許すといふ言葉は傲慢なパリサイ人でも云ひさうな文句である。同胞を理解すると云へばそれで沢山だ。婦人解放とその全性に及ぼす影響に対する私の見解の根本的方面がこれによつて略々読者に推察せらるる事と思ふ。
 解放は女子をして最も真なる意味に於て人たらしめなければならない、肯定と活動とを切に欲求する女性中のあらゆるものがその完全な発想を得なければならない。全ての人工的障碍が打破せられなければならない。偉なる自由に向ふ大道に数世紀の間横たはつてゐる服従と奴隷の足跡が払拭せられなければならない。
 これが婦人解放運動そも/\の目的であつた。然るにその運動の齎らした結果はと云ふと反つて女子を孤立せしめ、女性にエツセンシヤルである幸福の泉を彼女から奪つてしまつたのである。単なる外形的解放は近代の婦人を人工的の者と化し去つた。それは恰かもかの仏蘭西の植木家の手になるピラミツド形、車輪形或は花環形の奇異なる草木を徒らに連想せしむるのみで、女子内部本性の発想によつて達せらるる何等の形をも現はしてはゐないのである。かくの如く人工的に成長せる女性植物の大多数が特に現社会の所謂智識階級中に発見せらるるのである。
 女子のための自由と平等! この言葉が初め…

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