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子供の保護
こどものほご |
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作品ID | 46562 |
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著者 | ゴールドマン エマ Ⓦ |
翻訳者 | 伊藤 野枝 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」 學藝書林 2000(平成12)年12月15日 |
初出 | 「労働運動(第三次) 第七号」1922(大正11)年9月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | Juki |
公開 / 更新 | 2009-07-07 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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一
共産主義国家によつてつくられた、そしてごく真面目な努力を阻んでゐる嘘の中で、子供の利益の為めにしたボルシエヰキの活動と云ふ事程、悪いそして明かな事は何処にもない。尤もロシヤの子供達の生活に就いて云はれてゐる多くの事は、たゞの噺にすぎないとは云へ、しかし其のための非常な試みのあつた事は認めなければならない。が、何故其の試みは失敗したか?
私は、一九一九年、メデイソン・スクエア・ガアヅンで挙行された十月革命の第二回紀念日に、一人の演説者から受けた感銘をはつきりと覚えてゐる。
其の人は丁度ロシアから帰つて来たばかりだつた。彼は、ロシアでの子供の保護と取扱ひとを説いて、聴衆へ非常な感奮を与へた。私の心は其の国の人々の上に飛んだ。――其処には長い間の軛を投げ棄て、そして今は『子供の手に引かれて』ゐる民衆がゐるのだ。それは非常な驚異であつた。
バフオド号と云ふ海上の牢獄での航海の間中、私はロシアで子供の為めにされた仕事について考へた。そしてそれで私の心は支へられ、又暖められた。何と云ふ望みに満ちた未来だつたらう。そのすばらしい新生活への一歩だと云ふ事はどれ程私の心を鼓舞した事であらう。
が、私はロシアにはいつてから、此の社会主義国家では有らゆる努力を自分達の軌道に圧縮してしまふのだと云ふ事を考へないで議論してゐた事が分つた。
ボルシエヴイキが子供や教育について其の全力を尽したのは事実だ。そして又彼等がロシアの子供達の必要品を供給する事に失敗したのも、其の咎には誰方によりもロシア革命の敵の方に多いと云ふ事も本当だ。干渉と封鎖が、無邪気な子供と、病人との弱い肩の上に重く落ちて来たのだ。しかし、もつといゝ条件の下ででも、ボルシエヰキ国家の官僚政治的フランケンスタインの協約は、共産主義者によつてなされた子供と教育とのための最上の努力を痳痺させ、最善の目論見を破棄することよりほか出来なかつたのだ。
二
私はロシアに来た幾週間もしないうちに、ペトログラドで一番いゝ第一の学校を訪ねる機会を持つ事が出来た。それは、ポカザテルナヤ・シユコラ即ち模範学校と呼ばれて、文字通りの『見世物学校』だつた。私はずつと後まで、其の意味を捉む事が出来なかつた。其の学校は、ホテル・ド・ルウロオプの中にあつた。それは、広々とした室や、綺麗な枝形燈架や、贅沢な家具などと共に、往時の雅致をまだ多分に残してゐる場所だつた。
一九二〇年の冬、ペトログラアドの燃料の欠乏は、殆んど其の全人口を涸らすばかりにひどかつた。で、出来るだけ僅かの宅の中に子供等を詰め込む事が必要だつた。が、子供達は綺麗に、よく世話されて、気楽さうにしてゐた。子供達は平均六つから十三までゝ、営養もよく、丈夫さうに見えて、満足さうだつた。受持の医者が、私を案内してきれいな料理鍋で輝いてゐる炊事場までも含…