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釣心魚心
つりごころうおごころ
作品ID46568
著者佐藤 惣之助
文字遣い新字旧仮名
底本 「集成 日本の釣り文学 第一巻 釣りひと筋」 作品社
1995(平成7)年6月30日
入力者門田裕志
校正者hitsuji
公開 / 更新2019-05-15 / 2019-04-26
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 最近の釣界の傾向として、唯釣ればいいといふ濫獲的な傾向が無くなつて、いかにして釣るかどうして釣れるか、といふ研究的な態度が多くなつて来たのは、先づ喜ぶべき傾向であらう。
 尤もそれは、魚も昔のやうに不断には釣れなくなつたのにも帰因してゐるが、とにかく釣人にインテリゲンチヤが増加して来て、魚の習性や環境まで研究し、いかに巧緻に釣るか、いかに釣つて愉しむか、その心理的な釣りの味が、等しく一般によく触透して来たからにも拠るであらう。
 明治時代の「釣人気質」といふものは、徳川期の引継ぎ見たやうなもので、閑人的、逃避的、世捨人のすることで、暇があるから釣る、時間をつぶす為めに釣るといつた形であつたが、現代は忙しいから釣りで愉しむ。時間が無いからせめて釣りで時間を得ようとする傾向になつて来て、多くの東京の釣人と云へば、最も繁忙な職籍に在る人が多い。そこで釣りもスポーツの一種になつて来たのだ。
 新聞では、天気予報や潮や、或は季節の魚の場所まで報告する。そのテクニツク、用具までも紹介するといふ事になつて来たので、どつとアマチユアが増加して来た。この傾向は釣りが益々盛んになつて喜ぶべき現象である。以前は、釣人気質といふものは、非常にエゴイスチツクで、素人に釣場を荒されたり、又折角のよい場所も人に知らせないで、独り楽しむといつた調子であつたが、今は人に知らせる、人と共に釣る、そしていかに場所や魚を研究しようかといふやうになつて来た。併し今でも京浜間の一部の船頭などが、魚の状況や場所を訊かうとすると「自分の箪笥の中のものを人に知らせられるか」と、さも場所を財産のやうに心得てゐるが、何ぞ知らん、アマチユアでも相当の者になると、彼等の薬籠中の場所へどんどん踏込んで、彼等に対抗するだけの釣りをして来る。これは彼等にとつて大恐慌なので、だんだんよい船宿や船頭がなくなつて来る。それに釣りの船頭といふ奴は、文化と反比例する程古風で、研究心といふものは微塵もなく、唯職業的に貰ひ面をしてゐるばかりであるから、どんどんアマチユアの研究家に追ひ越されてしまふ。どこにどういふ根があるか、魚は春秋にどう移動するか、それも現在は略々アマチユアに獲得されて、彼等は唯日当を目的にそこへ行くやうな傾向になつて来た。
 何しろアマチユアの有難さには、固定した漁場を持つてゐる訳ではないから、交通網によつて何処へでも走り、どんどん処女地を開拓して来ることで、これには土地の蟒見たやうな釣師も驚いてゐるであらう。近年鮎が盛んで、鮎のゐる川なら遊釣りのアマチユアが乗り込まない所は無くなつて来たから、益々版図が広く面白くなつて来たに反し、彼等は税金だとか漁業権をやかましくいふ位なもので、自然に自滅するやうな有様となつて来た。この分でゆくと、もう十年もしたら、日本はほんたうに明るい愉しい釣技を、スポーツとして味はへるであ…

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