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初島紀行
はつしまきこう |
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作品ID | 4658 |
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著者 | 与謝野 晶子 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「現代日本紀行文学全集 東日本編」 ほるぷ出版 1976(昭和51)年8月1日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2004-06-03 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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正月六日朝早く千人風呂に入つて、その硝子窓から伊豆の沖の美くしい日の出を見ました。今日の快晴は疑ふべくも無い。海は襦子の感觸を以て銀の色を擴げ、中にところどころ天鵞絨の柔かみを以て紺青の圓い大きな斑を見せて居ました。何と云ふ好い凪でせう。
湯から上がると六時でした。宿の若い衆が、昨夜から頼んで置いた熱海の船が出來たと云ふ電話を取次いで來ました。それを更に他の三方の部屋へ知らせました。正月の初めに偶然この伊豆温泉の相模屋へ泊り合せた五人――臺灣總督府の石井光次郎さん、日本評論社の茅原茂さん、野口米次郎の令兄である高木藤太郎さん、それに私達夫婦が――昨夜からの突然な思ひ立出で、三里先きの海上にある初島を觀に行かうと決めたのです。忙しい中から僅かの暇を無理やりに作つて東京を離れたのさへ氣紛れであるのに、行く人の稀な島へ特に船を雇つて出掛けると云ふのは、我れながら醉興なことだと思ひました。私達の境遇では到底人並に呑氣な生活は出來ないのですから、ときどき突發的にかう云ふ醉興をして百忙の中の一間を偸み、呑氣らしさを摸ねることに由つて、纔に境遇の壓迫からほんの束の間だけ生命の解放を計るのです。
午前八時五十分の電車で熱海へ向ひました。初島へ行くには土産を持つて行く慣例であると宿の番頭から聞いて居たので、熱海の鹽瀬の店で、五人が出し合つて、十圓の駄菓子を大きな五つの袋に詰めて貰ひました。
十時に船が出ました。船宿から座蒲團を持つて來なかつたので、帆を二つに折つて敷いた上へ坐りました。船頭は若い逞しい人達ばかりが六人選ばれて居ます。四梃櫓を掛けて、二人が疲れた者と交代するのです。海の上はそよとの風も無く、日光を船一杯に受けて温かでした。「えい、おい、えい、おい」と云ふ勇ましい船頭達の掛聲、「ぐい、ぐい」と云ふ櫓の音。船は半跳るやうに、半滑るやうにして快く進みました。海は一面に深い紺碧を湛へて靜まり、私達の船の航跡だけが長く二條の錫を流して居ました。熱海の街が少しく煙り、網代の街の屋根瓦が光らなくなつた頃、船は航程の半分を越えたのだと船頭が云ひました。其頃から舳先に當る初島は藍鼠色より萌葱色に近くなりました。私達の心は廣重の圖中にある旅客の氣分と、お伽噺や探險談の中にある傳説的な氣分とが絡んで浮世ばなれのした一種の快感を覺えるのでした。
船は二時間足らずで初島の北岸に著きました。沙濱で無くて灰褐色の大きな石がごろごろしてゐるのを見ると、蓬髮敗衣の俊寛が串插の小魚を片手に提げて現れ相でした。少しばかりの傾斜地に網が干されてゐる。其上の崖に三四人の島の少女が立つて私達を見下ろして居ました。六年前に此處へ來たと云ふ相模屋の番頭の話では、船が著くと島の子供が爭つて土産物を貰ひに來たと云ふ事でしたが、そんな氣振の見えなかつたのは、六年の間に島の風俗も變つたのでせう。
島の住家…