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歴史哲学
れきしてつがく
著者三木 清
文字遣い旧字旧仮名
底本 「三木清全集 第六巻」 岩波書店
1967(昭和42)年3月17日
初出第一章 歴史の概念「哲學年誌」岩波書店、1931(昭和6)年12月<br>第二章 存在の歴史性「思想 第一一五号」岩波書店、1931(昭和6)年12月<br>第三章 歴史的發展〜第六章 歴史的認識「歴史哲學」續哲學叢書、岩波書店、1932(昭和7)年4月
入力者石井彰文
校正者Juki、岡村和彦
公開 / 更新2020-09-26 / 2020-08-28
長さの目安約 342 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 今私の手から離れたばかりのこの書の内容そのものに就いて、私はここに特に語るべきことをもたない。云はうと欲することはこの書のうちの何處かで何かの形に於て既に述べておいた筈である。他日この書の内容そのものが私にとつて「歴史的なもの」となつたとき、私自身これに就いて更めて語ることもあらう。もと叢書の中の一册として定められてゐたために、紙幅の關係からしても論ずべくしてそこに論ぜられ得なかつた問題は多い。それらに關しては今後他の形式で論述され、究明されるであらう。歴史哲學としてもこの書は寧ろその序論的部分に過ぎぬ。歴史の問題は我々の國に於ては從來あまり顧みられなかつたのであるが、今や事情は全く變化した。しかもなほこの方面に關する著述の殆ど全く缺けてゐる場合、この書も幾分の存在理由を有し得るものと期待してよからうか。
 私が歴史哲學上の諸問題に關心するのは、私の京都帝國大學哲學科在學の頃以來のことである。今自分の思想を一應、もとよりほんの一應、この書の形で※[#「纏」の「里」に代えて「黨−尚−れんが」、「广」に代えて「厂」、3-12]め、この後の研究のひとつの蹈石たらしめようと考へるに際し、私は自分のとにかくここまで歩んで來たのはひとへに師友の指導と刺戟とによることを思ひ、こころからなる感謝を捧げる。卷末に附した索引は池島重信君の力になるものである。君が貴重な研究の時間を割いてこの面倒な仕事にあたつてくれたのに對し特に謝意を表明する。

千九百三十二年一月三十一日
東京に於て
三木清
[#改ページ]

第一章 歴史の概念




 ここに考察される對象を表はすところの「歴史」といふ語は、普通に二重の意味を負はされてゐる。これは我々に先立つて歴史の問題に就いて探求した人々によつて注意されたことであつて、既にヘーゲルの如きも、それをこの語の含む主觀的及び客觀的方面として區別したのである。即ち、歴史といふ語は、多くの國語に於て、我々の國語も例外をなすことなく、一方では主觀的に、「出來事の敍述」historia rerum gestarum の意味に於て、そして他方では客觀的に、「出來事」res gestae そのものの意味に於て、用ゐられてゐる。後者はまさに存在としての歴史にほかならず、これに反し前者はかかる存在としての歴史に就いての知識及び敍述であり、ロゴスとしての歴史と呼ばれることが出來よう。かくの如き二重の意味に相應して、我々は歴史を經驗する、などと云はれると共に、我々は歴史を書く、などとも云はれてゐるのである。
 いま歴史に關する考察を始めるに際し、先づ、歴史のこのやうな二つの概念を區別しておくことが大切である。それが必要なだけ十分に區別されてゐないために、思想の曖昧と混亂とを惹き起し、多くの議論も的無きものとなつてゐるといふことは、決して稀ではない。兩者…

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