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作品ID | 46603 |
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著者 | 宮沢 賢治 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「新編風の又三郎」 新潮文庫、新潮社 1989(平成元)年2月25日 |
入力者 | 蒋龍 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2008-11-20 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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楢渡のとこの崖はまっ赤でした。
それにひどく深くて急でしたからのぞいて見ると全くくるくるするのでした。
谷底には水もなんにもなくてただ青い梢と白樺などの幹が短く見えるだけでした。
向う側もやっぱりこっち側と同じようでその毒々しく赤い崖には横に五本の灰いろの太い線が入っていました。ぎざぎざになって赤い土から喰み出していたのです。それは昔山の方から流れて走って来て又火山灰に埋もれた五層の古い熔岩流だったのです。
崖のこっち側と向う側と昔は続いていたのでしょうがいつかの時代に裂けるか罅れるかしたのでしょう。霧のあるときは谷の底はまっ白でなんにも見えませんでした。
私がはじめてそこへ行ったのはたしか尋常三年生か四年生のころです。ずうっと下の方の野原でたった一人野葡萄を喰べていましたら馬番の理助が欝金の切れを首に巻いて木炭の空俵をしょって大股に通りかかったのでした。そして私を見てずいぶんな高声で言ったのです。
「おいおい、どこからこぼれて此処らへ落ちた? さらわれるぞ。蕈のうんと出来る処へ連れてってやろうか。お前なんかには持てない位蕈のある処へ連れてってやろうか。」
私は「うん。」と云いました。すると理助は歩きながら又言いました。
「そんならついて来い。葡萄などもう棄てちまえ。すっかり唇も歯も紫になってる。早くついて来い、来い。後れたら棄てて行くぞ。」
私はすぐ手にもった野葡萄の房を棄ていっしんに理助について行きました。ところが理助は連れてってやろうかと云っても一向私などは構わなかったのです。自分だけ勝手にあるいて途方もない声で空に噛ぶりつくように歌って行きました。私はもうほんとうに一生けんめいついて行ったのです。
私どもは柏の林の中に入りました。
影がちらちらちらちらして葉はうつくしく光りました。曲った黒い幹の間を私どもはだんだん潜って行きました。林の中に入ったら理助もあんまり急がないようになりました。又じっさい急げないようでした。傾斜もよほど出てきたのでした。
十五分も柏の中を潜ったとき理助は少し横の方へまがってからだをかがめてそこらをしらべていましたが間もなく立ちどまりました。そしてまるで低い声で、
「さあ来たぞ。すきな位とれ。左の方へは行くなよ。崖だから。」
そこは柏や楢の林の中の小さな空地でした。私はまるでぞくぞくしました。はぎぼだしがそこにもここにも盛りになって生えているのです。理助は炭俵をおろして尤らしく口をふくらせてふうと息をついてから又言いました。
「いいか。はぎぼだしには茶いろのと白いのとあるけれど白いのは硬くて筋が多くてだめだよ。茶いろのをとれ。」
「もうとってもいいか。」私はききました。
「うん。何へ入れてく。そうだ。羽織へ包んで行け。」
「うん。」私は羽織をぬいで草に敷きました。
理助はもう片っぱしからとって炭俵の中…