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黄昏の告白
たそがれのこくはく
作品ID46613
著者浜尾 四郎
文字遣い新字新仮名
底本 「新青年傑作選第一巻(新装版)」 立風書房
1991(平成3)年6月10日
初出「新青年」博文館、1929(昭和4)年7月
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-10-29 / 2014-09-21
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 沈み行く夕陽の最後の光が、窓硝子を通して室内を覗き込んでいる。部屋の中には重苦しい静寂が、不気味な薬の香りと妙な調和をなして、悩ましき夜の近づくのを待っている。
 陽春のある黄昏である。しかし、万物甦生に乱舞するこの世の春も、ただこの部屋をだけは訪れるのを忘れたかのように見える。
 寝台の上には、三十を越してまだいくらにもならないと思われる男が、死んだように横たわっている。分けるには長すぎる髪の毛が、手入れをせぬと見えて、蓬々と乱れて顔にかかっているのが、死人のような顔の色を更に痛ましく見せている。細い高い鼻と格好のよい口元は、決して醜い感じを与えないのみか、むしろ美しくあるべきなのだが、生気のまったく見えぬその容貌には、なんとなく不気味な感じさえ現われているのである。
 傍には、やはり三十を越えたばかりと見える洋装の男が、石像のごとく佇立して、憐れむように寝台の男を見つめている。彼もまた極めて立派な容貌の所有者である。しかし、この厳粛な、否むしろ不気味な静寂は、その容貌に一種の凄さを与えている。
 横たわれるは患者である。傍に立てるは医師である。この病院の副院長である。
 突然患者は目を開いた。
 立てる男と視線がはっきりと衝突した。立てる医師はふと目をそらす。
 患者が云う。
「山本、君一人か。」
 医師にはこの質問の意味がはっきり判らなかった。
「え……?」
「この部屋には、今、君と僕と二人切りしかいないのか。」
「ああ、看護婦は階下へやった。用があったから。僕一人だよ。」
「そうか。」
 患者はしばらく考えているようであったがふたたび目をとじた。医学士山本正雄は患者が続いて何か云うことを予期していた。しかし患者はふたたび死んだように沈黙した。
 今度は医師が声をかけた。
「君、苦しくはないかね。」
「ああ……いや別段……」
 ふたたび重苦しい沈黙が襲う。
 日の光はしだいに薄れて、夜が近づく。
 陰惨な静寂に、医学士山本正雄は堪えられぬもののように頭をかきむしった。
 患者は大川竜太郎という有名な戯曲者である。彼はその二十七の年に処女作を発表し、当時の文壇のある大家にその才能を認められてから、がぜん有名になった。つづいて発表された第二、第三の諸作によって、彼は完全に文壇の寵児となり三十歳に達せざるに、社会はもはや彼が第一流の芸術家であることを認めないわけにはいかなかったのである。
 その大川竜太郎が、三十三の今日、劇薬を呑んで自殺を企てたのである。幸か不幸か、彼はすぐ死ぬということに失敗した。彼が苦悶のままその家から程遠からぬこの病院にかつぎ込まれてから、今日でちょうど五日目である。
 副院長山本正雄は大川の友人であった。彼が必死の努力によって、大川は救われたかと思われた。しかし、それも一時のことであった。山本は今、大川の生命はただ時間の問題である…

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