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茶話
ちゃばなし |
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作品ID | 46618 |
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副題 | 05 大正八(一九一九)年 05 たいしょうはち(せんきゅうひゃくじゅうきゅう)ねん |
著者 | 薄田 泣菫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「完本 茶話 下」 冨山房百科文庫、冨山房 1984(昭和59)年2月28日 |
初出 | 「大阪毎日新聞 夕刊」1919(大正8)年1月5日~8月31日 |
入力者 | kompass |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2014-10-29 / 2014-09-15 |
長さの目安 | 約 180 ページ(500字/頁で計算) |
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医者の友達
1・5(夕)
寺内内閣が壊れて、その跡へ政友会内閣が出来かゝるやうな運びになつて、総裁原敬氏の白髪頭のなかでは、内閣員の顔触が幾度か見え隠れしてゐた頃、今の文相中橋徳五郎氏の許へ、神戸にゐるお医者さんの桂田富士郎氏から一本の電報が飛込んで来た。
中橋氏は何気なく封を切つて見た。電報には、
「大臣になるなら文部ときめよ。」
と書いてあつた。中橋氏は二三度それを口のなかで読みかへしてゐるうち、嬉しさに覚えず綻びかゝる口もとを強く圧し曲げるやうにして気難しい顔を拵へた。実を言ふと、その二三日前から、中橋氏は今度の内閣には、主だつた椅子の一つが屹度自分の方に転げ込んで来るものと腹を定めてゐた。内務か、農商務か、逓信か。その中のどれでも差支がなく、二つ一緒なら猶好いとさへ思つてゐるらしかつたが、桂田氏の電報には思ひがけなく「文部ときめよ」と書いてあつた。
「文部か。文部なら俺でなくたつて――それに第一乾児の者が承知せんよ。」
中橋氏は不足さうに独語を言つた。そして自分が間違つて文部にでも入つたら、乾分の山岡順太郎氏などは、あの兜虫のやうな顔をしかめて、屹度呟き出すに相違ないと思つた。
その翌る朝、中橋氏は総裁の邸へ呼ばれて往つた。門を入る時には、船や米の値段が差当つての重大問題で、自分でなくてはその解決は難かしいとさへ思つてゐたが、門を出る時には、これからの日本は何よりも教育が大事だと思ひ込んでゐたらしかつた。そして宅へ帰りつくと、直ぐ電報用紙を取りよせて、神戸の桂田氏宛に次のやうな電報を打つた。
「願ひの趣聞き届ける。」
中橋氏は文部大臣になつた。なりはなつたが、何だつて桂田氏が思ひがけなくあんな電報を寄したのか、訳が分らなかつた。
「事によつたら、桂田め、ちやんと内閣の役割を知つてゐたかも知れないぞ。何しろ医者で脈を取る事を知つてゐるからな。」
中橋氏は腑に落ちなささうな顔をして呟いた。
最近米国に、ある鉄道事故から右脚を傷めた男があつた。撞木杖をついて町へ出ると、ばつたり友達の一人に出会つた。
「や、久しぶりだね。」友達はづか/\とやつて来て握手をした。「ひどい目に遇つたんだつてね、ほんとに気の毒だつたね。」
「有難う。」不仕合せな男は撞木杖をつき直しながら頭を下げた。
「その杖が無くつちや歩けないのかい。」友達は気の毒さうに訊いた。
「なあに、医者はもう杖なざ無くたつていゝと言ふんだけど、弁護士が是非ついて居てくれといふもんだからね。」
鉄道会社を相手に訴訟をするには、是非杖をついてゐる必要があつたのだ。医者だの弁護士だのは友達にもつてゐるといろんな良い事を教へてくれるものだ。
音楽家の大統領
1・6(夕)
共和国になりかゝらうとしてゐる波蘭では、その最初の大統領に洋琴家のパデレウスキイ氏を選んださうだ。パデレウスキーは何…