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茶話
ちゃばなし
作品ID46619
副題06 大正十一(一九二二)年
06 たいしょうじゅういち(せんきゅうひゃくにじゅうに)ねん
著者薄田 泣菫
文字遣い新字旧仮名
底本 「完本 茶話 下」 冨山房百科文庫、冨山房
1984(昭和59)年2月28日
初出「サンデー毎日」1922(大正11)年4月23日~8月27日
入力者kompass
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2014-11-01 / 2014-10-13
長さの目安約 40 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

頤の外れたのを治す法
詩人室生犀星氏のお父さんのこと
4・23
サンデー毎日

 詩人室生犀星氏のお父さんは、医者であつた。医者であることすら大変なのに、おまけに藪医者であつた。藪医者といふと、蝸牛や、蟷螂と同じやうに草ぶかい片田舎にばかり住んでゐるやうに思ふ人があるかも知れないが、実際は都にも多いやうだ。とりわけ博士などと肩書のついた輩に、そんなのが少くないやうだ。唯幸福なことには、肩書がつくと、病人がそれを信用してかゝるから、癒らない筈の病気までがついひよつくり快くなつたりすることがあるので、病人は勿論、お医者自身までが、それを自分の診察がいゝからなのだと穿き違へて、本当は藪医者であるのに気がつかないまでのことである。だが、犀星さんのお父さんは博士でもなかつたから、都へも出ないでおとなしく田舎に住んでゐた。
 流行らない医者にとつては田舎も住みよくはなかつた。室生氏は毎日日向ぼこりをして、もつと病人の多い国はないものかなどと考へてゐた。さう思つて見ると、その辺の人は男も女もみんな馬のやうに達者だつた。
 ある日めづらしく一人の病人がやつて来た。「来たな」とお医者はあわてて玄関へ飛び出してみた。そこに立つてゐるのは、間のぬけた顔をした男で、涎をくり/\何か他愛もないことをいつてゐた。よく聞いてみると、頤がはづれて困つてゐるといふのだつた。何でも一人二人医者にはかゝつてはみたが、どうも治りきらないらしかつた。
「おれの運が向いて来たのだ。」
と医者は腹の中でつぶやいた。そしてこの病人を治すと、外では治らなかつただけに、自分の名医であることが、ぱつと世間に拡がつて、これからはとても受けきれないやうな大勢の病人が押し寄せて来るに相違ない。それには宅の玄関は余り狭すぎるから、何でも近いうちに大工を呼んで建替への見積りをとらなくちやならぬと、そんなことまでも考へた。
 だが、ほんとうの事をいふと、医者はどうして頤のはづれたのを治したものか、まるで見当がつかなかつた。で、こつそり次の室に入つて読み古した医術の本を大急ぎで繰つてみたが、その本にはお産のことばかり詳しく載つてゐて、頤のことなどは唯の一行も書いてなかつた。
「困つたな、何かいゝ分別はないものかしら。」
 医者は手を拱んで考へた。アンチヘブリンを服まさうかとも思つたが、それにしては熱が少しもなかつた。下剤をかけようかとも思つたが、それにしては腹に少しの滞りもなかつた。
「この病人一人でおれの運がきまらうといふのだ。」
 医者はまた繰り返して腹の中でかう思つた。すると、その一刹那すてきないゝ考へが電光のやうに頭の中を走つた。
「さうだ。いゝ思ひ付きだ。きつと治るに相違ない。いよ/\おれの運が向いて来たといふものだ。」
 医者は嬉しさうににや/\笑つた。そして病人に手拭できつく頬冠りをさせて裏口まで連れ出した。背…

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