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茶話
ちゃばなし |
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作品ID | 46621 |
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副題 | 08 大正十五(一九二六)年 08 たいしょうじゅうご(せんきゅうひゃくにじゅうろく)ねん |
著者 | 薄田 泣菫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「完本 茶話 下」 冨山房百科文庫、冨山房 1984(昭和59)年2月28日 |
初出 | 「苦楽」1926(大正15)年9月1日<br> 「文芸春秋」1926(大正15)年10月号 |
入力者 | kompass |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2014-11-07 / 2014-10-13 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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堪忍といふ事
9・1
苦楽
むかし、ある物識りが、明盲の男を戒めて、すべて広い世間の交際は、自分の一量見をがむしやらに立てようとしてはいけない、相身互ひの世の中だから、何事にも、
「堪忍」
の二字を忘れてはならぬと話したことがありました。すると、明盲の男は不思議さうに頭をかしげて、
「お言葉ですが、堪忍の二字とおつしやるのは何かの間違ひではございますまいか。
『かんにん』
と申すと、丁度四字になるやうで……」
と、自分の指を一つづつ四本折つて見せました。
物識りの男は、可笑しさに噴き出したくなるのを堪へて、
「いや、違ふ。堪忍とは、『たへしのぶ』と訓んで二字で出来てゐるのだ。」
と言つて、聞かせました。
すると、聞いてゐた男は指を折つて数をよみながら、一層腑に落ちなささうな顔をしました。
「たへしのぶ――なら、また一字殖えて五字になりましたが……」
相手が余りわからないことを言ふので、物識りの男はむつとしました。その気色を見てとつた明盲は、にやにや笑ひながら、
「ともかくも、堪忍は四五字と心得まして、その四五字を忘れぬやうに心掛けませう。いや、ありがたうございました。」
と、お辞儀を一つしました。
物識りは赫となりました。
「まだ四五字だと強情を張るのか。貴様のやうな馬鹿者はとても手におへん。狗と同じだ。いや、猫だ。蟷螂だ。もうこれからは一切構ひつけぬから、勝手にするがいい。」
火のやうに真赤な相手の顔を見上げて、一人は端然と控へたままで、
「どんなに悪口を吐かれようと、一向腹は立ちません。こちらは堪忍の四五字を心得てゐますからな。」
と、冷やかに言つたといふ話があります。
柳里恭といへば、聞えた遊び好きの拗ね者ですが、この人は京都から大阪へ遊びに来るのに、いつも夜船に乗つて淀川を下つて来ました。そして帰りにもきつと夜船を選ぶことにきめてゐました。ある人がその理由を訊くと、里恭は急に真面目な顔になつて、
「あれは堪忍の修業を重ねたいからぢや。」
と答へたさうです。
柳里恭が大阪の華やかな街でどんな遊びをしてゐたかは、大抵推察が出来ますが、そんな陽気な遊びをしながらも、往きかへりにはきつと夜船に乗つて、堪忍の修業をしてゐたのです。乗合ひの夜船といへば、膝を折り、脚を縮め、互ひに他人の脚を枕に押し合ひへし合ひ、折角睡らうとすればもしもしと呼び起され、少しとろとろしたと思ふと、頭を毛脛で跳ね飛ばされなどして、一寸の間も不自由な思ひをしないことはない。かうした混雑のなかでは、皆が互ひに堪忍してゆかなければ、とても治りがつくものではありません。その心掛を自分に体得したいと思つて、里恭はわざわざ窮屈な淀の夜船を選んで上り下りをしたものと思はれます。
アメリカの Marion Crawford は、子供の頃余り激しい癇癪持なので、それがため家族も苦…