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昆虫図
こんちゅうず
作品ID46627
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「日本探偵小説全集8 久生十蘭集」 創元推理文庫、東京創元社
1986(昭和61)年10月31日
初出「ユーモアクラブ」1939(昭和14)年8月号
入力者川山隆
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-01-25 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 伴団六は、青木と同じく、大して才能のなさそうな貧乏画かきで、地続きの古ぼけたアトリエに、年増くさい女と二人で住んでいた。
 青木がその裏へ越して以来の、極く最近のつきあいで、もと薬剤師だったというほか、くわしいことは一切知らなかった。
 職人か寄席芸人かといったように髪を角刈にし、額を叩いたり眼を剥いて見せたり、ひとを小馬鹿にした、どうにも手に負えないようなところがあって、これが、最初、青木の興味をひいたのである。
 細君のほうは、ひどく面長な、明治時代の女官のような時代おくれな顔をした、日蔭の花のような陰気くさい女で、蒼ざめたこめかみに紅梅色の頭痛膏を貼り、しょっちゅう額をおさえてうつ向いていた。吉原にいたことがあるという噂だった。
 どういういきさつがあるのか、思い切って素っ気ない夫婦で、ときどき、夜半ごろになって、すさまじい団六の怒号がきこえてくるようなこともあったが、青木の前では、互いに猫撫で声でものを言い合っていた。
 十一月のはじめ、青木は東北の旅から帰り、その足で団六のアトリエへ訪ねて行くと、団六はめずらしくせっせと仕事をしていた。
 日本間のほうを見ると、いつもそこの机にうしろ向きになって、牡蠣のようにへばりついている細君の姿が見えないので、どうしたのかとたずねると、病気で郷里へ帰っているのだといって、細君の郷里の、船饅頭という船頭相手の売笑婦の生活を、卑しい口調で話しだした。
 十日ほどののち、いつものようにブラリとやって行くと、団六は畳のうえにひっくりかえって、しきりに手で顔をあおぐような真似をしている。青木が入って来たのを見ると、
「てへ、こりゃ、どうです。どだいひどい蠅で、仕事もなにも出来やしねえ。人間も、馬のように尻尾があると助かるがな」
 といって、妙なふうに尻を振って見せた。
 なるほど、ひどい蠅だ。
 壁の上にも硝子天井にも、小指の頭ほどもある大きな銀蠅がベタいちめんにはりついていて、なにか物音がするたびに、ワーンとすさまじい翅音をたてて飛び立つのだった。どこからこんなに蠅が来たのだろう。季節は、もう十一月だし、すぐ地続きの青木のアトリエには、蠅などは一匹もいなかった。
「天井裏で、鼠でも死んでるんじゃないか」
 というと、団六は、
「ああ、そうか。そんな事かも知れねえな」
 と、呟きながら、キョロリと天井を見上げた。
 一週間ほどしてから、また出かけて行くと、アトリエの周りには、乳剤のむせっかえるような辛辣な匂いが立ちこめていた。
 蠅は一匹もいなかった。しかし、今度は蝶々だった。
 紋白や薄羽や白い山蛾が、硝子天井から来る乏しい残陽に翅を光らせながら、幾百千となくチラチラ飛びちがっている。そこに坐っていると、吹雪の中にでもいるような奇妙な錯覚に襲われるのだった。
 青木は、家へ帰ると、女にいった。
「団六のところへ、こん…

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