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![]() かいきょうふうぶつき |
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作品ID | 4663 |
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著者 | 木下 杢太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「現代日本紀行文学全集 東日本編」 ほるぷ出版 1976(昭和51)年8月1日 |
初出 | 「三田文学」1911(明治44)年6~7月号 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2004-05-31 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 34 ページ(500字/頁で計算) |
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夕暮れがた汽船が小さな港に着く。
點燈後程經た頃であるからして、船も人も周圍の自然も極めて蕭かである。その間に通ふ靜かな物音を聞いてゐると、かの少年時の薄玻璃の如くあえかなる情操の再び歸り來るのではないかと疑ふ。
艀舟から本船に荷物を積み入るる人々の掛聲は殊に興が深い。
「やつとこ、さいやの、どつこいさあ。」
「やれこら、さよな――。」
と、その「さよな」といふ所から、揃つた聲の調子が急に下つて行くのを聞くのは、眞に悲哀の極みである。諸ろの日本俗謠の暗潮をなす所の一種の哀調が、亦此裡に聞き出されるからである。
強ひて形容すれば、銅青石の溶けてなせるが如き冷き冬の夜の空氣の内に――その空氣は漁村の點々たる燈火をもにじませ、將た船の鐘の徒らに風に驚く響にさへ朗かなる金屬の音を含ませる程にも濃いのであるが――そのうちに、かの「やれこらさよな、やこらさのおさあ。」を聞かされるのであるから。
それからまた船が出て行くのである。人と自然との靜かなる生活の間を、黒い大きな船が悠然として悲しき汽笛を後に殘して航行を始める。
そのあとに、まだ耳鳴りのやうに殘つて居る謠の聲や人のさけびは、正に古酒「LEGENDE」の香ひにも、較ぶれは較ぶべきものであらう。(明治四十三年十二月二十九日伊豆伊東に於て)
海濱に於ける人間の生活とそこの自然との交渉ほど、予等の興味を引く自然觀相の對象は蓋し鮮い。鹿兒島は久しく他郷と交通を謝絶して居たから其風物は甚だ珍らしいさうであるが、予は未だ漫遊の機を得ない。其他天草、島原等の九州の諸港でも、紀州沿岸の江浦でも、近く房州、伊豆等に於ても、天候や地勢や生業等の諸條件を稍等しくして居るものの間には、亦必ず共通な人間生活及び其表現を見出し得るのである。ゲエテが古い伊太利亞紀行を讀んでも、殊に其エネチア、ナポリ、シシリヤ等の諸篇は同樣の興味からして予等の膝を打たしめるのである。
温和なる氣侯が彼等を怠惰にする。荒海の力と音とに對する爭が彼等の筋肉を強大にし、其音聲を太く、語調を暴くする。それにも拘らず、常に遠く人里から離れて居る彼等の生活が夫婦間の愛情を濃かにする。誰かあの岩疊の體格、獰猛な顏容の裡に此種の sentimentalisme を豫期しよう。が、同時に、海濱に於ける作業に必然要求せらるる共同生活が、仕事の責任者を無くすと同時に仲間同志の思遣りを深くすると云ふ事は確かである。年寄つた漁夫は小さい子供等を始終叱責して居るけれども、其粗暴な言葉の裏にはきつと快活な諧謔を潜ませて置くのである。この共同生活が實際また、かの渡り鳥や旅行者の心安さのやうに、生活と云ふものを如何にも愉快さうなものにして居る。そして又青い――青い彼方から雲のやうに湧いて來る他郷の船舶、新しい貨物、知らない人々や、その方言乃至珍らしい物語や時花歌を迎へるのに慣…