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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID46638
副題46 石川光明氏と心安くなったはなし
46 いしかわこうめいしとこころやすくなったはなし
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-01-08 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 さて、話は自然私がどうして石川光明氏と交を結ぶことになったかということに落ちて来ます。それを話します。
 明治十五年、私は西町三番地の家で毎日仕事をしておりました。仕事場は往来を前にした処で、前述の通りのように至って質素な、ただ仕事が出来るという位の処であった。
 その頃、木彫りは衰え切っている。しかし牙彫りの方は全盛で、この方には知名の人が多く立派に門戸を張ってやっている。その中で私は石川光明氏の名前は知っておりました。それは明治十四年第二回勧業博覧会に同氏の出品があって、それを見て、心私かに感服したので能くその名を覚えていました。
 同氏の出品は薄肉の額で、同氏得意のもので、世評も大したものであったらしく、私が見ても牙彫界恐らくこの人の右に出るものはなかろうと思いました。しかし、その人は知らない。またこの時に島村俊明氏兄弟の出品もあり、これもなかなかすぐれていると感服して見たことで、光明氏なり、俊明氏なり、いまだ逢ったこともなく顔は見知らぬが定めし立派な人であろうと思うておりました。
 光明氏はその頃下谷竹町の生駒様の屋敷中に立派な邸宅を構え、弟子の七、八人も使っておられ、既に立派な先生として世に立っておられたのであるが、そんなことまではその時は知らず、ただ、名前だけを記憶に留めておったのでした。

 私は相変らず降っても照っても西町の仕事場でコツコツと仕事をやっていた。
 すると、時折ちょいちょい私の仕事場の前に立ち留まって私の仕事をしているのを見ている人がある。時には朝晩立つことがあるので、私も気が附き、その人の人品を見覚えるようになった。その人というのは小柄な人で、髯をちょいと生やし、打ち見たところお医師か、詩人か、そうでなければ書家画家といったような風体で至極人品のよい人である。格子の外から熱心に覗いて見ている。私も熱心に仕事をしているのだが、どうかしてちょっと頭を上げてその人の方を見ると、その人は面伏なような顔をしてふいと去ってしまう。こういうことが幾度となく重なっていました。
 私は、妙な人だと思っていた。いずれ数奇者で、彫刻を見るのが珍しいのであろう位に思っていた。風采の上から、まず自分の見当は違うまいなど思っていた。とにかく私の記憶には、もう何処で逢っても見覚えのついている人であった。

 すると、或る夏のこと、先年、私が鋳物師大島氏の家にいた時分、その家で心やすくなっていた牧光弘という鋳物師があって、久方ぶり私の仕事をしている処へ訪ねて来られた。久闊を舒し、いろいろ話の中に、牧氏のいうには、
「高村さん、あなたに大変こがれている人があるんだが、一つその人に逢ってやりませんか。先方では是非一度逢いたいもんだといって大変逢いたがっているんですよ。この間も行ったらまたあなたの話が出てね。是非逢いたいっていってました。あなた逢う気がありますか…

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