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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID46641
副題49 発会当時およびその後のことなど
49 はっかいとうじおよびそのごのことなど
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-01-08 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 当日は会の発表祝賀会を兼ねて製作展覧を催したのでありました。
 展覧の方は今日のように硝子箱に製品を陳列するなどの準備などは無論なく、無雑作なやり方ではあったが、牙彫の製品はかなり出品があって賑やかであった。木彫の方は私は都合が悪くて出品しませんでしたが、林美雲が一点だけ牙彫の中に混って出品しました。
 発会式は非常な景気で諸万からお遣い物などが来て盛大を極め、会合するもの三百人以上で予期以上の成功であった。
 それに井生村楼の女将が同会に大変肩を入れ、楼の全部の席を同会のために提供してくれ、しかも席料なども安くしてくれ、非常に同情的に暗に後援してくれたのでいろいろ都合がよく、会員一同も女将の好意を感謝したことであった。
 会は充分の成功をもって終りました。
 本会の成立について、特に尽力をされた人々は旭玉山、石川光明、島村俊明、金田兼次郎、塩田真、前田健次郎、大森惟中、平山英造の諸氏で、事務所は仮りに玉山先生の自宅に置き、当分同氏が事務を扱ってくれました。そして井生村でこの会は二、三回催されました。

 こういう風に東京彫工会の成立が予期以上に盛大でありましたので、形勢全く一変し、東京の彫刻界を風靡するという有様で、会員は渦を巻いて集まって来て、三百人以上と称されました。
 そうなると、今度は谷中派の方からかえって和解を申し込んで来たりして、両派に関係のあった人たちを介して会員になりたいなど続々申し納れがあったりしました。彫工会の方はもとより心から谷中派を敵視しているわけでないから、そういう要求は快く容れましたので、谷中側の人も大分入会したような訳でした。
 先生側の人々が反抗態度を手強くし、歩調を揃えて熱心に行動を取ったためにかえって好結果を来たしたような訳で、したがって両派の軋轢も穏便に済んだのでした。もっとも初めから喧嘩をしたわけではない。暗闘的ないさかいはあったが、見ともなく喧嘩するようなことはなくて終ったのであった。
 それで府の勧業課の掛かりの人たちもよろこび、中に彫刻熱心の人たちが賛助会員になったりしました。
 既に彫工会も充分成立の基礎が認められたので、学芸員と一般会員の多数で二十一年上野の美術協会陳列館で第一回彫刻競技会を開き一般の観覧を許しました。これが彫工会の競技会の初まりです。こうなるといよいよ会頭がなくてはならないので、最初の会頭に渡辺洪基氏を撰みました。同氏は永く会のために尽力されました。途中死去され、没後は榎本武揚氏。氏が没して後は土方久元氏。それから現在の会頭は平山成信氏で、井生村で発会以来今日までおよそ四十余年の間継続されております。

 右の如く東京彫工会は、彫刻会の先駆であった日本美術協会に次いでの古い会でありますが、当初美術協会の存在しているのにかかわらず、この会の出来たのは、美術協会に対して不平があって分派したと…

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