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![]() どうがくせんせいのたび |
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作品ID | 4665 |
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著者 | 戸川 秋骨 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「現代日本紀行文学全集 東日本編」 ほるぷ出版 1976(昭和51)年8月1日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2004-06-02 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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若い學生――斷つて置くが、男生女生兩方の學生である――を引率してといふ處だが、むしろ若い學生達に引率されての旅であつた。事實N夫人と私とは晝の辨當を用意して來なかつたので、學生連中の携帶したものからその何割づつかを分けて貰つて、やうやくそれに有りついたといふ事實をもつても解る。山中の一停車場で上りの汽車と竝んで停車したら、丁度その上りの車中に若い女學生の修學旅行らしいのが居て、此方を見て、微笑をしては、互に何か言ひ合つて居る。此方の連中も同樣である。竝んでの停車は僅かに二三分時で互に發車したが、その時先方は笑つて輕く會釋して行つた。此方の連中も同樣にした。私はそれが非常に嬉しかつた。この旅程の中の壓卷だと思つた。事實はそれほどの事でなかつたかも知れないが、私はステイヴンスンの旅行記にある一節を思ひ出したからである。一寸その個處を引用して見る。
「オルニイの若い美人達は私達の出立の際に來て居た。私達は歡呼された、若い男女は岸の土堤の上を私共について走つて來た。私達は燕のやうに河を下つて行つた。娘達は裾をからげ、素足を見せ、息を切らして走つて來た。最後までついて來たのは三人の美人とその他二人であつた。が、それ等も弱つた時、先頭に進んで居た三人の内の一人が、木の切り株の上にのつて、船の私達に向つて、自分の手をキスして送つた。デイヤナの神と雖も、――むしろヴイナスらしい處の方が多くはあつたが――こんな優しい素振りを、これほど優しくして見せる事は出來なかつたであらう。その美人は言つた、「また歸つて入らつしやいネ」と、すると一同も聲を揃へて同じ事を言つた、オルニイのまはりの小丘もみな「歸つて入らつしやいネ」といふ言葉を反響した。併し河は目ばたきをする間に角を曲つてしまつた。そして私達はただ緑の樹木と走る水と共にあるのみであつた。
「また歸つて入らつしやいネ」とや、若き婦人達よ、人の世の早瀬には歸つて來ることはない。
「あき人は船乘の星にぬかづき
農夫は太陽に依つて季節を知る」
吾れ等はみな自分の懷中時計を、運命の時計に依つて定めなければならぬ。勢猛く進む瀬は、一片の藁のやうに、人をその空想と共に伴ひ去り、時間と空間との内に疾く走り行く。人の世の瀬には、オアズのこの曲折して行く河のやうに、數多の曲線があり、樂しい田園の内にさすらひまた戻つて來る。而もよく考へて見れば決して戻つて來る事はない。よし流れは同じ時刻に、牧場の同じ場所に再び來るとするも、前とその時との間には大きな變りがある。數多の細流は流れ込んだであらう。數多の蒸發は太陽の方に登つた。そして場所は同じとしても、それは同じオアズの流れではあるまい。左ればオルニイの美人達よ、私の一生の、さすらふ宿命は、再び私を導いて、あなた方が河の邊りで死の呼び笛を待て居る處に歸つて來たとしても、その時町を歩む私はもとの私ではあ…