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東京宝塚劇場の再開に憶う
とうきょうたからづかげきじょうのさいかいにおもう
作品ID46656
著者小林 一三
文字遣い新字新仮名
底本 「宝塚漫筆」 阪急電鉄
1980(昭和55)年2月15日
入力者鈴木厚司
校正者川山隆
公開 / 更新2008-01-01 / 2014-09-21
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 私は、関西で創立した宝塚歌劇を、何んとか東都に進出させ度いとかんがえて東京の市村座・歌舞伎座・新橋演舞場・帝国劇場等に出演させて、その様子を見て居りましたところ、充分成功する見透しがついたので、昭和七年、今の東宝株式会社の前身、株式会社東京宝塚劇場を設立し、日比谷の一角に、宝塚歌劇が常打できる東京宝塚劇場の建設にかかったのであります。
 それが昭和八年末竣成して、あくる昭和九年一月一日より宝塚歌劇をもって、華々しく開場しました。爾来、御家族ともども楽しんで頂ける娯楽、すなわち清く正しく美しくをモットーに、家庭共楽の殿堂、大衆娯楽の陣営として、宝塚歌劇を上演してまいったのであります。そして宝塚歌劇の上演しない月は、芸術座、春秋座、新国劇と、国民劇と国民劇の育成を目的とした東宝劇団等の出演をもって東都の新名所となったのでありますが、戦争のために遂に昭和十九年には休場する事態に立ちいたりました。
 次いで終戦となり、昭和二十年十二月廿四日に進駐軍のため接収され、比島戦線にて活躍して散った米国の新聞記者のアーニイ・パイルの名を冠したアーニイ・パイル劇場として、永らく米軍の用に供しておったのでありますが、その間紆余曲折はありましたが、幸い昭和三十年一月二十七日をもって接収を解除され東宝の手に戻ったのであります。

 そして久方振りに宝塚歌劇を上演、軒高く五線譜の淡い薄緑のネオンが輝き、美しい歌声のもれる劇場となりました。この日の来るのを、千秋の思いで待ちこがれていたのは、私のみではないと信じます。今後、東宝の宝塚本営として、私が創設しました四十年昔の宝塚の理想を発揮しうる時代が来ることを確信しております。
(三〇・四・一五 東京宝塚劇場にて)



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