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エスペラントの話
エスペラントのはなし
作品ID46659
著者二葉亭 四迷
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 1 政治小説・坪内逍遙・二葉亭四迷集」 筑摩書房
1971(昭和46)年2月5日
初出「女学世界」1906(明治39)年9月
入力者土屋隆
校正者Juki
公開 / 更新2007-02-11 / 2016-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 エスペラントの話を聴きたい、よろしい、やりませう。しかし先月の事だ、彩雲閣から世界語といふ謂はゞエスペラントの手ほどきのやうなものを出した、あの本の例言に一通り書いて置いたが、読んで下すつたか。え、まだ読まない、困つたねえ、ぢや仕方がない、少し重複になるが、由来からお話しませう。と云つて何も六かしい由来がある訳ではないが、詰り必要は発明の母ですね、エスペラントの発明されたのも畢竟必要に促されたに外ならんので、昔から世界通用語の必要は世界の人が皆感じてゐた、で、或は電信の符号のやうなものを作つて、○と見たら英人はサンと思へ、独逸人はゾンネと思へさ、ね、日本人なら太陽と読めと云つたやうな説もあつたが、そんな無理な事は到底行はれん。そこで、現在の各国に国語中一番弘く行はれてゐる英語とか仏語とかを採つて国際語にしたらといふ説も出たが、これも弊が多くて困る、成程英語が国際語になつたら英人には都合が好からうが夫では他の国民が迷惑する。仏語でも独逸語でも其通り、夫に各国人皆それ/″\に自尊心といふものが有るから、余所の国の言葉が国際語になつては承知せん、何でも自分の国の言葉を採用しろと主張する、到底も相談の纏まる見込はない、そこで是はどうでも何か新しい言語を作つて、それを一般に行ふより外手段はないとなつて諸国の学者は此方面でいろ/\工夫してゐる中に、千八百八十二年といへば明治十二年に当りますかね、其年にウォラビュックといふ新発明の国際語が出来た、かの符号などから視れば余程気が利いてゐるけれど、惜しい事には余り人為的で、細工に過ぎてゐて之を人情風俗の違ふ各国人の口へ掛けたら、どうやら支離滅裂になつて了ひさうで、どうも申分が多いが、外に之に代るべきものもないから、一時は相応に研究する者もあつた、我国でも読売新聞が其文法を飜訳して附録にして出したことがあるから或は研究した人もあるでせう、しかし何国でも未だ弘く行はれるといふ程に行かぬ中、千八百八十七年、即ち明治十八年になりますかな、其年の末に初めて所謂エスペラントが世に公にせられた。之は露国ワルソウの人だから詰り波蘭人だ、其波蘭人のドクトル、ザメンコフといふ人の発明で、かのウォラビュックなどから視ると、遙かに自然的で無理が少ないから、忽の中に非常な勢で諸国に弘まつた。今では世界中で亜細亜や阿弗利加を除いては到る処にエスペラント協会が出来てゐて、其教科書は各国語に飜訳されてある。私が始て浦潮斯徳でポストニコフといふ人からエスペラント語を習つた時にも、同氏から此語が欧米で盛に研究されつゝある話を聴いたことがあつたが、当時は仔細あつて私の心は彼に在つて此に無しといふ有様で、好加減に聞流して置いたが、其後北京へ行つて暫らく逗留してゐると、或日巴里から手紙が来た、巴里に知人はないがと怪しみながら封を切つて見ると、エスペラント語で日本に於…

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