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ちり
作品ID46698
著者夢野 久作
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集7」 三一書房
1970(昭和45)年1月31日
初出「新潮 30巻3号」1933(昭和8)年3月
入力者川山隆
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-08-20 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 塵だ。塵だ。おもしろい、不可思議な、無量無辺の塵だ。
 大空を藍色に見せ、夕日を黄金色に沈ませ、都大路の色硝子に曇って、文明の悲哀を匂わせる。
 広大な塵の芸術だ。
 深夜の十字街頭に音もなく立ち迷うて、何かの亡霊に取り憑かれたかのように、くるくるくると闇黒の中に渦巻き込む塵の幾群れが見える。それはちょうど古い追憶の切れ目切れ目に、われともなくわれ自身を逃れ出して行く、くるしみの幾群れに見える。
 モノスゴイ塵の象徴力である。

 店の先に並んでいるいじらしい果物たちの上から、その並んでいる事が罪悪であるかのように、白い塵がコッソリ蔽い冠さって来る。そのマン丸い、うるうるした瞳と新鮮な頬の輝やきを曇らせて、はかなくも白け渡った投影を仄めかす。ことさらに瓦斯の灯の青ざめ渡る夏の夜になると、それらの水々しい処女と童貞たちの臍の中を、一つ一つ灰色の垢に埋めて、さもなくとも明け易い夜もすがらを、おのがじしに咽び歎かせるのだ。
 意地の悪い、痛々しい塵の戯れではある。

 塵は都会の哀詩である。
 構い手のない肺病娘のホツレ毛に引っかかって、見えるか見えないかにわななきふるえつつ、夢うつつのように紅い紅い血を吐き続けさせ、旧教会のステインドグラスに這い付いて、ありがたいお説教の余韻を薄曇らせ、聖書の黒い表紙の手ざわりにザラめいては、祈る者の悲しみをためらわせる。
 貴人の自動車を追いかけたあとで、すぐに乞食老爺の喘息に襲いかかり、さらに、病院のカアテンから忍び入って、患者が忘れて行ったヒヤシンスの萎れ花に寄りたかり、いつの間にか応接間の油絵の額縁に泌みにじんで、美しい表情を疲れ弱らすかと思えば、又もや、遠い銀座の百貨店の前を慌しく走り過ぎて、めんくらった虚栄の横顔たちを真剣な形に引き歪める。何という皮肉な塵の思い付きであろう。

 塵は又、田園の挽歌だ。
 ある時は、眼に見えぬ魂か何ぞのように、ズルズルズルと音を立てながら麦打ち場から舞い上って、地続きの廃業した瓦焼場から、これも夜逃げをした紺屋の藍干場へかけて狂いまわり、又は、森の中に立ちあらわれて、見る人も聞く人もない淋しい、悲しい心を、落葉と共に渦巻き鳴らしつつ暗い木立の奥に迷い込んで行く。
 又ある時は、お祭りの人ごみに立ちまじって、赤いゆもじの裾を染め、オモチャの笛をあわれみ詰まらせ、神木の肌を神さびさせ、仁王様の腕の古疵を疼き痛ませ、御神鏡の光を朧にした上に、伏しおがむ人々の睫毛までも白々としばたたかせて、昔ながらの迷信をいよいよ薄黒く、つまらなく曇らせる。

 ガラ空の旅人宿の真昼間からペコペコ三味線の音が洩れ出して来る。その門口に並んだ鳳仙花が風もないのに乱れ落ちて、はかない紅白の花びらがあとからあとから土の中に消え込んでゆく。その行く人もない、長い、白い往来の途中から、思い出したように塵ホコリが立つ…

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