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烏恵寿毛
うえすけ |
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作品ID | 46738 |
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著者 | 佐藤 垢石 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「『たぬき汁』以後」 つり人ノベルズ、つり人社 1993(平成5)年8月20日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2007-01-15 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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いよいよ、私は食いつめた。
昔、故郷の前橋中学へ通うころ、学校の近くに食詰横町というのがあった。五十戸ばかり、零落の身の僅かに雨露をしのぐに足るだけの、哀れなる長屋である。
住人は、窮してくると、天井から雨戸障子まで焚いてしまう類であったから、一間しかない座敷のなかの、貧しい一家団欒の様がむきだしだ。そこで、現在の戦災後の壕舎生活と、この食詰横町の生活と、いずれが凌ぎよかろうかと、むかし学生時代に眺めた風景を想い出して比べてみると、地表に住んで直接日光の恵みに浴するとはいえ、横穴の貉生活の方が、戸締まりがあって寒風が吹き込んでこないだけ結構であろう。
ところで、われわれ学生は、食詰横町を通るたびに、
おいおいお前、試験のときカンニングはやめよ。
と、連れの学友にからかうのである。
嘘つけ、僕なんぞカンニングはやらないよ。やったのは君だろう。
白々しいや。この間も、僕の見ているところでやってたじゃないか。
あの時、ただの一度さ、はじめのおわりだ。
それならいいが、カンニングが癖になって世の中へ出てからも、カンニングをやるとひどいことになるぞ。
どんなことになる。
この食詰横町に住んでいる人物は、すべてカンニング崩れなんだ。社会生活にカンニングを用いれば、誰でもこの横町へ這い込まにゃならんよ。
こんな冗談を言い合って、笑ったものだ。
さて、私の場合であるが、私は世の中へ出てから、別段カンニングをやった覚えはなし、人の物をちょろまかした記憶もない。
だのに、食い詰めて、せっぱ詰まった。
会社をやめる時、退職金を一万二千六百円貰った。大正の末年の、デフレの大不景気時代であったから、当時の一万二千六百円と言えば素晴らしい。そのころ、とろとろと唇の縁がねばるような白鷹四斗樽が一本、金八十円前後で、酒屋の番頭が首がもげはせぬかと心配になるほどぺこぺこ頭を下げて、勝手元まで運び込んだものである。
この頃のように闇値横行のとき、一升三百円の酒を買えば、一万二千円所持していたところで、四斗樽一本でおしまいだ。しかるに、一升二円の酒を、一万二千六百円買えば、何升手に入りますか、と試問されても、頭がこんがらかり舌が吊ってしまって即座には返答ができないであろう。その退職金を懐中にし、途中で軽く一盃召し上がって、ひとまずいそいそとわが家へ帰った。
二
二階へ上がり、かたく家族の者を遠ざけ、一体百二十六枚の百円紙幣は、畳一枚にならべ得られるかどうかについて試してみたのである。ならべ終わって、私はにやにやとした。まさに豪華版であったのである。
その豪華版も、僅かに半年の間に呑み干してしまった。遺憾なく、まことに綺麗に呑んだ。
ついで、祖先伝来の田地田畑を売り、故郷の家屋敷まで抵当に入れてしまった。爾来、七とこ八とこと借り歩き、身寄り友人、撫で…