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越後の闘牛
えちごのとうぎゅう
作品ID46739
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「『たぬき汁』以後」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-01-15 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

  一

 越後と上州の国境をなす谷川岳と茂倉岳を結ぶ背面の渓谷に源を発し、八海山と越後駒ヶ岳の裾を北流して新潟県北魚沼郡川口村で信濃川に合する魚野川の川鮎は、近年にわかに都会人の食趣に、その美旨の味品が注目されるようになった。
 私は、やはり今年も上旬から、北魚沼郡小出町の地先を流れる魚野川の清冽を慕って、炎暑下の鮎の友釣りに、健康の増進を志していったのであったが、偶々長岡の友人若月文雄氏がわが旅宿へ訪ねてきて、いまは日本唯一となった古志郡竹沢村の、闘牛を見物に行こうではないかと、誘うのである。
 越後の闘牛について若月氏の説くところをきくと、これはいつの世にはじまったのであるか詳しい歴史は分からない。しかし、既に数百年の長い間、この国の古志村郷に伝わってきた行事であるといわれている。文献にも乏しく、ただ曲亭馬琴が文化十一年から天保十二年にかけ二十八年間の長きにわたって書いた南総里見八犬伝の第七十三回と四回とに、詳しく紹介してあるが、その他には殆ど文献らしい文献は見当たらない。
 文化から天保といえば、今から百二、三十年以前のことであるが、八犬伝を読んでいると闘牛行事のしきたりや村民の風俗が、いまと全く変わりがないのに気がつく。文化天保のころが、この闘牛全盛の時代であったように想像されるから、闘牛の歴史は馬琴時代よりもさらに古い発生であるのではあるまいか。
 馬琴は、自ら古志の国へ旅して二十村郷の闘牛を見物したのではない、と、自ら八犬伝のうちに付記している。これは、随筆北越雪譜の著者南魚沼郡塩沢の里長鈴木牧之から庚辰三月二十五日に伝聞した実況で、牧之は村政や筆硯多忙のために、雪譜中へ闘牛記を収めることができなかったから自分が代わって八犬伝中に記したのだ。と、馬琴は断わっている。
 日本闘牛は、越後のほかに土佐と能登にあったのであるけれど、いまは亡びてしまって見ることができない。また奥州南部地方にも昔から、牛を闘わせることが行なわれたが、ちかごろは甚だ衰微して振るわなくなった。
 だから、闘牛を見物しようとすれば、この越後の国へ旅するほかないのだ。幸い、この八月十七日に二十村郷の竹沢村に六十頭の前頭、大関、横綱級の巨牛が出場して、火花を散らして闘うことになっているから、ぜひ案内したいものだ。スペインの闘牛は、人間と牛との戯戦でその振舞にどことなくケレンを感ずるという話であるが、越後の闘牛は、牛と牛とが真剣になって闘うのであるから、八百長などというのは、微塵もない。相手が斃れるか、逃げ出すか。とにかく、そのままにして置けば、死線を越すまで体力と角とで搏ち合うのであるから素晴らしく豪儀である。激しい闘いになると、手に汗を握り、わが心臓が止まりはしないかと思うほど見物人は興奮するのである。
 どうです、一度見物して置きませんか。決して、無駄ではないでしょう。
 ふ…

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