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猿ヶ京
さるがきょう
作品ID46743
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「『たぬき汁』以後」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-01-23 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 このほど、元代議士生方大吉君の案内で東京火災保険の久米平三郎君と共に、上州と越後の国境にある三国峠の法師温泉の風景を探ったのである。途中、猿ヶ京の部落を過ぎたが、車中で生方君から人間の真情について、まことに珍しい、そしてほんとうに羨ましい話をきいた。
 猿ヶ京には、幕府の関趾があった。徳川時代、越後や出羽方面の諸大名が、江戸へ参観交代に罷り出るには、越後路から三国峠を越えて必ず猿ヶ京の関所を通ったものである。だから、この部落には今でも昔の宿場風の建物が残っており、ここから二里奥の峠のすぐ麓の法師温泉は本陣という格で、そこには湯女もあまたいたらしく、今から八、九十年昔は、大分賑やかな街道筋であったらしいのである。
 しかし、今では僻陬の寒村になってしまった。維新後、上野から碓氷峠を越え、長野、直江津と鉄道が敷かれては、この三国峠など越える人はいない。殊に、この二十年ばかり、上越線が開通してからは、南越後の人も、上州の人も、すべて鉄道を利用して、三国峠を見捨ててしまったらしい。通行の人は、法師温泉へ行く人か、この村の人々が出入りするばかりだ。
 群馬県利根郡新治村の最も奥の部落が猿ヶ京で、法師温泉まで二里の間、僅かに数戸の小屋が峡間に、一、二点在しているのである。だが、昔は関所があっただけに、なかなか大きな部落で、山の村としてはどの家も構えが大きい。
 だから、村には何軒かの名門があった。そのうちでも、某というのは一頭地を抜いた名家で今は退職しているが、この家の長男は大審院の判事まで栄達した人である。その人の妹に素晴らしい美人があった。
 兄が東京へ伴って教育したのであるから、学問のことは勿論、行儀作法から女の芸事にかけては、何一つ欠くるところがないまでに育て、そして躾けたのである。そして天稟の麗質の持ち主であった。
 縁があって、この美人は熊本県の千万長者の長男のところへ嫁いで行った。二十一歳であったという。
 兄も、故郷猿ヶ京の親達も良縁であると喜んだ、がほんとうは良縁ではなかった。婿さんというのは学校出ではあるけれど、商才に長じた人物で、ちょうど支那事変がはじまった景気の動きに乗り、大資本を利用して、大いに儲けた。
 千万長者が、さらに儲けたのであるから婿さんから見れば、金は湯や水にひとしい。呑み、買う、幾人かの妾は置く。今日は博多、明日は大阪といった具合に、殆ど熊本の家へは寄りつかないのである。
 夫婦の愛情など、生まれてくるものではない。ただ在るものは虚偽と虚栄と、冷たい空気ばかりである。来る日も、来る月も、来る年も、空閨の連続である。それでも、婦道を守り姑に仕えて、五、六年は過ぎた。
 だが、本人は深く考えた。こうして、自分だけ人間の道を護っても、相手に反応がなければそれは無意味である。なおかつ、良人の家にあるとすれば、五十年、六十年の後には、枯木…

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