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香魚の讃
こうぎょのさん
作品ID46779
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣り随筆」 つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日
初出「釣趣戯書」三省堂、1942(昭和17)年
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-06-30 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   一

 緑樹のかげに榻(こしかけ)を寄せて、麥酒の満をひく時、卓上に香魚の塩焙があったなら涼風おのずから涎の舌に湧くを覚えるであろう。清泊の肉、舌に清爽を呼び、特有の高き匂いは味覚に陶酔を添えるものである。
 今年は、鮎が釣れた。十数年振りで鮎の大群が全国の何れの川へも遡ってきたのである。青銀色の滑らかな肌を、鈎先から握った時、掌中で躍動する感触は、釣りした人でなければ知り得ない境地である。
 六月一日の鮎漁解禁に、白泡を藍風に揚げる激湍の岩頭に立って竿を振る人々が、昨年よりも一層数を増したのも当然のことと思う。
 だが、早瀬に囮鮎を駆使して、ほんとうに豪快な釣趣に接し、八、九寸四、五十匁の川鮎を魚籠に収めようとするのは、六月下旬から七月に入った嵐気、峡に漂う季節である。
 まさに友釣りの快技に興をやる日が迫ってきた。これから中部日本を流れる代表的な峡流に点綴される釣り風景と、鮎の質とを簡単に紹介しよう。

   二

 鮎の多摩川が、東京上水道のために清冽な水を失った近年、関東地方で代表的な釣り場とされているのは相模川である。富士山麓の山中湖から源を発して三、四十里、相州の馬入村で太平洋へ注ぐまで、流れは奔馬のように峡谷を走っている。中にも、甲州地内猿橋から上野原まで、また相州地内の津久井の流水に棲む鮎は、驚くほど形が大きい。それを、激流に繋いだ軽舟の上から、三間竿に力をこめて抜きあげる風景は、夏でなければ見られぬ勇ましさである。
 七月末になれば、一尺に近い大物も鈎を背負って水の中層を逸走する。そして、肉の質もよくて香気も高い。
 多摩川は、亡びてしまったとはいえ、まだ人気は残っている。六月の解禁のはじめに、毎日未明に釣り場へ押しかけた東京人は幾万であるか知れなかったのである。しかも、今年は全国いずれの川も豊産であったように、老いたる流れ、多摩川も鮎に恵まれた。

   三

 奥多摩川の渓谷も、清麗である。今年も、江戸川や小和田湾で採れた稚鮎の放流で川は賑わう[#「賑わう」は底本では「振わう」]。豪壮な友釣り姿を見るのは、大利根川である。殊に上州の赤城と、榛名の山裾が東西に伸びて狭まって上流十里、高橋お伝を生んだ後閑までの間の奔淵には、ほんとうの尺鮎が棲んで、長さ六間の竿を強引に引きまわす。そして背の肌が淡藍に細身の鮎は、風味賞喫するに足るであろう。
 奥利根の釣聖、茂市の風貌に接するのも一つの語り草にはなる。
 妙義山下から流れる出る鏑川、裏秩父の神流にも今年は、珍しく鮎が多い。また、奥秩父から刄のような白き流れを武蔵野へ下してくる隅田川の上流荒川も、奇勝長瀞を中心として今年は震災後はじめて東京湾から鮎の大群が遡ってきた。翆巒峭壁を掩う下に、銀鱗を追う趣は、南画の画材に髣髴としている。

   四

 常陸国の久慈川の鮎は、質の立派な点に味聖の…

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