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酒渇記
しゅかつき
作品ID46784
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「完本 たぬき汁」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-04-24 / 2014-09-21
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 近年、お正月の門松の林のなかに羽織袴をつけた酔っ払いが、海豚が岡へあがったような容でぶっ倒れている風景にあまり接しなくなったのは年始人お行儀のために、まことに結構な話である。また露地の入口に小間物店を開いた跡が絶えて少なくなったのも衛生上甚だ喜ばしい。
 それというのは、ご時世で物の値が一帯に高くなり酒ばかり飲んでいたのでは生活向きが立たなくなるという考えが、飲み放題のお正月へも影響してお互いに控えましょう、となった結果であると思う。松の内くらいは、などと意地汚いのは時代に副わぬものだ。お互いに、物の消費を少なくして、国家経済の向かうところに従ってゆこうではないか。だが、理屈は抜きにして昔のお正月のことを回顧して、こん日の美俗に思いを寄せると、ただ何となく物さびしい気がする。
 私なども、若い時から大酒飲みで讃酒の生涯を送ってきたが、この頃では大して飲まなくなった。いや、飲まなくなったのではない、飲めなくなったのだ。心献に、輓近の美俗を尊重するつもりはないのだけれど、こう物価が鰻のぼりにのぼってきては、思う存分飲む訳にはゆかないからである。ほんとうに、これで参ったというほど頂戴してみたい。などと、さもしい夢をみることもある。
 私の父も、随分酒が好きであった。毎日、朝から酔っ払っていたのである。しかし、おとなしい酒で、酔ってもにこにこしているが、一年中朝からにこにこされているのには家族の者も閉口した。私の子供のころ、近所の醸造元から毎夕二升入りの兵庫樽を配達してきた。それで金三十銭。つまり、一升十五銭という勘定である。こんな安い大乗の茶を飲んで、朝から瓶盞の仁となっていられた父は幸福であった。
 いま時、一升十五銭などという安い酒は思いもよらない。酒楼に上がれば、一合三、四勺入りの徳利を二合入りと称して、一本七十銭から八十銭と勘定書についてくる。酔い潰れるほど、飲めなくなった所以であろう。

     二

 二升入りの兵庫樽一本三十銭は、明治中世の話であるが、維新前は我々に想像もつかぬほど安かったものだ。
 奈良般若寺の古牒によると、慶長七年三月十三日の買い入れで、厨事以下行米三石六斗の代価七貫百三十二文、上酒一斗二百十八文、下酒二斗三升で二百十七文とあるが、当時の貸幣価値は当時使用したものでなければ分からないから、慶長頃の酒がどんなに安かったものか判断がつかない。二代将軍秀忠の慶安年中は、いまから二百九十年ばかり前になる。そのころ、江戸鍛冶橋御門前南隅に小島屋嘉兵衛という酒類、醤油を売る店があった。この店で市中へ撒いた引き札に、古酒一升につき大酒代六十四文、西宮上酒代七十二文、伊丹西宮上酒代八十文、池田極上酒代百文、大極上酒代百十六文、大極上々酒代百三十二文とある。ところが、同じ引き札に醤油の値段も書いてある。それによると、大阪河内屋代…

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