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酒徒漂泊
しゅとひょうはく
作品ID46785
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「完本 たぬき汁」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-04-16 / 2014-09-21
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 昨年の霜月のなかばごろ、私はひさしぶりに碓氷峠を越えて、信濃路の方へ旅したのである。山国の晩秋は、美しかった。
 麻生豊、正木不如丘の二氏と共に、いま戸倉温泉の陸軍療養所に、からだの回春を待ちわびている三百人ばかりの傷病兵の慰問を志して、上野駅から朝の準急に乗った。峠のトンネルを抜けて、沓茫とした軽井沢の高原へ出ると、いままで汽車の窓から見た風物とは、衣物の表と裏のように、はっきりと彩を変えていた。二人は、莨を喫いながら何か賑やかに話しているけれど、私は窓硝子へ吸いつくばかりにして、めぐりゆくそとの景趣に眺めいったのである。
 この秋は、陽気が遲れていた。いつもならば十一月のなかばがくると、上信国境の山々は、いくたびかの大霜にうたれ、木々の梢はうらぶれて、枯葉疎々として渓流のみぎわを訪れる、というのであるそうだが、いま見てきた妙義から角落の奇峭を飾る錦繍の色は、燃え立つほどに明るかった。横川宿あたりの桑園の葉も、緑に艶々しい。
 さくらもみじは、熊の平の駅へはいって漸く散りそめていた。霧積川の流れは岸に砕けて、さすがに晩秋らしく冷えびえと白い泡を立てていたけれど、崖から這い下がる葛の蔓が、いまもなお青かったところを見れば、淵の山女魚の肌に浮く紫もまだ鮮やかに冴えていることであろう。
 ところが、碓氷の分水嶺を一足すぎて、この浅間の麓へ眼をやると、なんと寂しい、すべての草木の凋れた姿であろうか。穂に出た芒は、枯れて西風に靡いている。路ゆく人の襟巻は、首に深い。落葉松はもう枯林となって、遠く野の果てに冬の彩を続けている。
 空は蒼く、真昼の陽は輝いている。上州では高い空に白い浮雲をみたのに、信州へはいっては一片の雲もみない。その明るい陽に照らされて、浅間山の中腹から、前掛山の頂かけて茜さすのは秋草の霜にうたれた色であるかも知れないと思う。それに連なって裾野の方へ、緑に広く布いてみえるのは、黒松の林ではないであろうか。
 しかし、ひとたび深い雲を催せば、雨がくるのではあるまい。もう雪が降ることであろう。そんな想像をめぐらしているうち、三十年近くも過ぎた昔、私はこの蕭条たる枯野が真っ白に包まれた雪の上を、東から西へ向かって歩いて行ったことが頭へ浮かんできた。
 いや、ほんとうはこうして二人から離れ、私ひとり窓のそとの景色に忽焉としているというのは、そのときのわが姿を、なん年振りかで眼に描いて、なつかしみたかったからである。若き日のわが俤が汽車の窓のそとを歩いている。
 その若き日の旅に、私は歯がたわしのように摺り減った日和下駄をはいていた。物好きの旅ではない。国々をさまよい歩いた末の、よるべなき我が身の上であったのである。

     二

 私は明治の末のある年の十一月下旬、勤め先を出奔したことがある。追っ手を恐れて一足飛びに土佐の国へ飛んだ。土…

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