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すっぽん
すっぽん
作品ID46786
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「完本 たぬき汁」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-04-20 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 このほど、御手洗蝶子夫人から、
『ただいま、すっぽんを煮ましたから、食べにきませんか』
 と、言うたよりに接した。
 一体私は、年中釣りに親しんでいるので、いつも魚の鮮味に不自由したことがない。殊に爽涼が訪れてきてからは、東京湾口を中心とした釣り場であげた鯛、黒鯛、やがら、中鱸などの膾、伊豆の海の貝割りのそぎ身と煮つけ、かますの塩焼きなどを飽喫している。
 また、川魚では初秋の冷風に白泡をあげる峡流の奥から下ってくる子持ち鮎の旨味と、木の葉山女魚の淡白にも食趣の満足を覚えていたのであった。そしてちかごろ、私が特に楽しかったのは立秋の後、越中の国八尾町から二、三里山中の下の名温泉に旅して、そこの地元を流れる室牧川で釣った鮎が、味香ともに、かつて私が知っている何れの川の鮎よりも一段と勝っていたことで、温泉の宿でこれを塩焼きと味噌田楽にこしらえて舌端に載せた味覚は、永く私の記念となろう。けれど、この頃魚漿の饗饌には少々飽いたような気がしている。なにか他の、豊美な滋味を味わってみたい、と一両日来、考えているところへ、蝶子夫人からのたよりであったのである。
 すっぽんの濃羮は、昔から美食の粋として推されている。ところが、私の少年のときの思い出は、大しておいしいものではなかった。私が十二、三歳の頃であったであろうと思う。夏の出水の跡に、村の川の橋普請があった。私の父も、村の役人として普請の監督に出ていたが、ある日古い石垣を組み直すとき、土方が一匹の大すっぽんを捕らえた。その夜、この大すっぽんを私の家へ持ってきて、すっぽん汁をこしらえ、これを炉の自在鍵に吊るした大鍋から、十数人の村人が五郎八茶碗に掬って、おいしそうに啜った。そして、雲助のような髭面に、濁酒の白い滓をたらし、あかい顔で何かわめいていた人達の姿が、いまでも私の眼の底に残っている。私にも一碗だけが裾分けとなったのである。だが、甚だおいしくなかった。泥の臭みが鼻をついて、
『こんなのなら、物欲しそうな顔などするのではなかった』
 と、悔やんだのである。そんな古い記憶があったから、その後長い間、すっぽんの食味に興を惹かなかったのであるが、先年京都千本通りの大市ですっぽんの羮を食べたとき、はじめて、
『なるほど』
 と思った。
 それに味をしめて、それからは東京であっちこっちとすっぽん専門の割烹店を尋ねて歩いたけれど、料理の方が拙いのか、材料が劣っているのか、京都で得た味覚とはまことに比較にならない。幻滅を感ずるとは、ほんとうにこのことをいうのであろう。幸い、私には西陣に親戚があったので、関西に旅するたびにそこを訪れ、大市から取っては義兄と二人で、その贅餐に喉を鳴らした。

     二

 そんな訳で東京にいては、すっぽんのことを全くあきらめていた。ところが、四年ばかり前であったか、偶然御手洗邸を…

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