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にらみ鯛
にらみたい
作品ID46804
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「完本 たぬき汁」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-04-27 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     悲しき副膳のお肴

 万延元年の四月の末の方、世はもう、青葉に風が光る初夏の候であった。
 京都所司代酒井若狭守忠義は、月並みの天機奉伺として参内した。ご用談が、予定以上に長くなって、灯がつく頃になっても禁裡を退出しなかった。侍従岩倉具視は、
(この機を逸しては――)
 と、考えた。そして、久我建道と相談して、そっと女房を経て、御膳の『御した』のお下げを乞い、これを酒井に賜わった。『御した』というのは、主上ご食事の砌ご正膳の外に、副膳を奉るのであるが、その副膳のことを称えるのである。
 酒井所司代は、恐懼して平伏し、さて恭々しく箸をとろうとしたところ、悪臭が鼻にくるのにびっくりして、箸を措いた。膳の上の魚の肉が、何れも古くなっていたからだ。
『これは、どうしたことか?』
 と酒井はほんとうに不思議の思いをした。そこで、酒井はその場へ御膳吟味掛を呼んで、
『おそれ多いことではないか――』
 と、詰問した。ところが岩倉は、横から御膳吟味掛の答弁を引き取って、
『酒井殿は、拙者の申したことを信用しない風であったが、きょうのことでそれがほんとうであったことが分かったであろうと思う。これはひとり御膳吟味掛ばかりの罪ではないと存ずる』
 こう説いて、睫毛に宿る露を長袖で拭った。岩倉は、かねがね一天万乗の君のご前へ供え奉る御膳が、どんなに質素で、いや質素を通り越してお粗末であるかを伝えていたが、それを禁裡御取締まり内藤豊後守正継や、この酒井所司代は、
『あまりのことである』
 と、言って信用しない。そして、供御調度のことについて旧例を改革しようとはしなかったのである。けれど所司代は、きょう眼のあたりこの御膳を拝見して、絶倒せんばかりに恐懼した。
『いかにもこれは、我々関東の役人の責任であった』
 と、深くお詫びを述べた。かねて、岩倉から聞いていたが、それは誇張であって、事実はこれほどではないであろう。と推察申しあげ、何の手配にも及ばないできたのであった。酒井は共に悲しんだ。その後、酒井はいろいろと心を尽くしたのである。しかし旧例ばかりを楯にとって、何ごとにも禁裡を冷たく見てきた徳川幕府の首脳部は、
『俄に、御料を増すことは罷りならぬ』
 こうこたえて、所司代の申出を斥けてしまったのである。酒井は、どうすることもできないで、自らそくばくの金を献上して、御内膳の資に供えたという。
 この、朝廷の供御欠乏のありさまを、実際に幕吏が拝しあげたのは、堀田正睦が上洛した時より、少し後の事であった。
 幕末時代における禁裡のご模様を記した書物を読み、また古老の話を伝え聞けば、いまの宮中のご盛事に思い比べて、ほんとうであったろうかと疑われて、畏れ多いことばかりである。

     僅かに一万両

 孝明天皇ご即位前後、禁裡御料のことは代官小堀が代々管掌していた。代官小堀は、禁裡…

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