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美音会
びおんかい
作品ID46810
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「完本 たぬき汁」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-04-24 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十一月二十七日夜六時頃、先輩の生駒君と一緒に有楽座の美音会へ行ってみる。招待席は二階正面のやや左に寄った所を三側ばかり取ってあるが、未だ誰も見えていない。しかし、他の席は殆ど満員という有様で、廊下には煙草を口に銜えた[#「銜えた」は底本では「街えた」]人が多勢行ったり来たり、立談している人もあって、その中に、美しく着飾った貴婦人達が眼を惹く。有楽軒の食堂もかなり繁昌している。演奏開始までには未だ二十分も間があるので、菓舗へ行って椅子に腰を下ろすと、強いコーヒーの匂いがする。一杯註文すると、今摺ったばかりなので旨い。菓子と柿を食って自分らの席へ帰り、じっと開始時間を待っている。
 開演時間になって、朝日の半井君と、いま一人歌沢の好きな老人、万朝の中内、石井両君、都の何とかいう人たちがドヤドヤと入ってきて席を取る。間もなく幕が上がると、吉備舞が始まった。君が代、梓弓、神路山の三番が続けて舞われる。曲は何れもおとなしいもので、かつ楽手が皆芸人らしくない所が気持ちが良い。葭本幾野という歌手の声は、まるで場内から溢れ出すように透った良い喉なので聴衆は皆感嘆する。『佳い声だね、佳い声だね』とあちこちで言われる。
『長唄をやらしたら良いだろうね』と朝日の老人が黄色い声で言う。
『フーン』と桃水君が答える。
 歌曲をじっと聞いていると悲壮な心持ちになる。舞はこれと反対に頗る優雅だ。この悲壮と優雅との調和してゆくところに面白味がある。梓弓と神路山が良かった。殊に神路山の「上り下り」のところの舞は人を神代の夢に誘ってゆき、思わず恍惚とさせる。それに舞子は何れも十歳から十四、五歳くらいまでの少女なので可愛らしい。
 楽長という人は鉄縁眼鏡をかけた、眼のギョロッとした人で、楽器を休めている時は、いつも四辺を気にしていた。
 次の序遊の一中節。あの禿げた頭を前の方へ伸べて平たく座って見台を眺めたところを見ると吉備舞と異なって急に芸人臭い感じがした。渋い喉で蝉丸の山入が始まる。『一中は親類だけに二段きき』という川柳がある。それを聴衆は神妙に聞いている。さすが美音会の会員達だと思った。無事にすむと急霰のような拍手が起こった。
 歌沢に入る前に二十分ばかりの休憩がある。背後にいる桃水君が、老人に向かって、
『一体芝派の節には艶がないね、今少し何とかなしようがあろうと思う』と言う。
『そうですね。どうも寅派の方に味があると思う』と答える。暫時談話がやんでいると、また桃水君が、
『あの婆さんは、一度止めたんだが、出て見るとやはり声が佳いものだから、近頃又始めたのだそうだ』
『ええ、とにかく芝派の元老ですからね』、芝土志の噂をしているらしい。桃水君は自ら三味線を執って唄う自慢の歌沢が聞きたい。
 まず芝土志が現われる。例の如く江戸時代の渋味を大切に、皺の間に保存しておくような顔で跋の足には大き…

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