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ザザ虫の佃煮
ザザむしのつくだに |
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作品ID | 46816 |
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著者 | 佐藤 垢石 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「垢石釣り随筆」 つり人ノベルズ、つり人社 1992(平成4)年9月10日 |
初出 | 「釣趣戯書」三省堂、1942(昭和17)年 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2007-06-28 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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秋の蠅も、私には想い出の深い餌である。私の少年のころのある期間、父は忙しいので私の釣りの相談相手になれなかったことがある。私は、一人で竿から仕掛け、餌のことまで、才覚思案した。
上州へは、秋が殊のほか早く訪れるのが慣わしである。九月上旬になると、赤城と榛名の峡から遠く望む谷川岳や、茂倉岳の方に、黒い雲が立ちふさがって、冷たい風を麓の方へ送ってきた。日中は暑いけれど朝夕は、利根川の流れに風波が立って、もう寂しい秋がきたことを想わせる。
私は、小学校から帰ってくると、縁側を弱い羽で飛んでいる秋蠅を捕った。これを餌に持って利根川へ行った。辺地に近い石かげへ、短い竿で蠅をさした鈎を投げ込んだ。すぐ当たりがあった。小さいはやが、いくつも釣れた。黄色く色づいた稲の畔を走って、夕暮れの田んぼを家へ帰ってきた。そして、母に釣ったはやを焼いて貰って、夕飯のとき食べた。
それは、遠い昔の想い出である。
それから私は、少し大きくなってから、蝗を餌にして、長い竿でぶっ込み釣りで、秋のはやを釣ることを習った。ある夕、一尺前後のはやを十尾以上も釣って、雀躍りしたのを記憶している。いまでも釣りするたびに、子供のときのような心になって、喜びたいとねがうのである。
川虫も、山女魚やはやを釣るには、なくてはならぬ餌である。川虫には、平たい草鞋のような形をしたのもあれば、百足のような姿をしたのもある。また挟み虫のようで、黄色いのもある。これは、いずれもかげろうの幼虫であろう。
なかでも、挟み虫のような形で、黄色い川虫を山女魚やはやが好むようである。わが故郷では、これをチョロ虫と呼んでいる。
昨年の春であったか、信州の諏訪に住んでいる正木不如丘博士に会ったとき、釣りの話のことから、このチョロ虫の身の上談に及んだことがある。博士がいうに、その虫ならば自分のくにの川にも、いくらも棲んでいる。そして、それを信州ではザザ虫と呼んでいるのだ。このザザ虫は、魚の餌になるばかりでなく、人間の餌にもなるのだから、妙だ。
信州では、ザザ虫を佃煮にこしらえて、それを肴にすると、酒がひどくおいしいといって甚だ賞味する。君も酒が好きだから、こんど上京するとき持って行ってやろう、ザザ虫の佃煮を肴にして、一杯やり給えと、甚だ悪もの食いめいたことをすすめるのだ。私は初耳なのである。
それから間もないことであった。博士に信州高遠の桜見物に誘われた。四月の二十日ごろであった。友人三、四人と共に、高遠公園の桜を眼の前にして、公会堂の楼上に卓をかこんだ。高遠の有志から、酒と重箱の贈りものがあった。酒は仙醸と呼んで、まことに芳醇である。重のなかは肴であるそうである。やがて、博士は重箱の蓋をとった。みると、先だっての話の、ザザ虫の佃煮だ。ザザ虫ばかりではない、川百足もいる。生きているときは青黒い色をして、長さ五分くらい…