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瘠我慢の説
やせがまんのせつ
作品ID46828
副題04 瘠我慢の説に対する評論について
04 やせがまんのせつにたいするひょうろんについて
著者石河 幹明
文字遣い新字新仮名
底本 「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」 講談社学術文庫、講談社
1985(昭和60)年3月10日
初出「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社、1901(明治34)年5月2日
入力者kazuishi
校正者田中哲郎
公開 / 更新2006-12-14 / 2014-09-18
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一月一日の時事新報に瘠我慢の説を公にするや、同十三日の国民新聞にこれに対する評論を掲げたり。先生その大意を人より聞き余に謂て曰く、兼てより幕末外交の顛末を記載せんとして志を果さず、今評論の誤謬を正す為めその一端を語る可しとて、当時の事情を説くこと頗る詳なり。余すなわちその事実に拠り一文を草し、碩果生の名を以てこれを同二十五日の時事新報に掲載せり。実に先生発病の当日なり。本文と関係あるを以て茲に附記す。
石河幹明記

     瘠我慢の説に対する評論について

碩果生
 去る十三日の国民新聞に「瘠我慢の説を読む」と題する一篇の評論を掲げたり。これを一読するに惜むべし論者は幕末外交の真相を詳にせざるがために、折角の評論も全く事実に適せずして徒に一篇の空文字を成したるに過ぎず。
「勝伯が徳川方の大将となり官軍を迎え戦いたりとせよ、その結果はいかなるべきぞ。人を殺し財を散ずるがごときは眼前の禍に過ぎず。もしそれ真の禍は外国の干渉にあり。これ勝伯の当時においてもっとも憂慮したる点にして、吾人はこれを当時の記録に徴して実にその憂慮の然るべき道理を見るなり云々。当時幕府の進歩派小栗上野介の輩のごときは仏蘭西に結びその力を仮りて以て幕府統一の政をなさんと欲し、薩長は英国に倚りてこれに抗し互に掎角の勢をなせり。而して露国またその虚に乗ぜんとす。その危機実に一髪と謂わざるべからず。若し幕府にして戦端を開かば、その底止するところ何の辺に在るべき。これ勝伯が一身を以て万死の途に馳駆し、その危局を拾収し、維新の大業を完成せしむるに余力を剰さざりし所以にあらずや云々」とは評論全篇の骨子にして、論者がかかる推定より当時もっとも恐るべきの禍は外国の干渉に在りとなし、東西開戦せば日本国の存亡も図るべからざるごとくに認め、以て勝氏の行為を弁護したるは、畢竟するに全く事実を知らざるに坐するものなり。
 今当時における外交の事情を述べんとするに当り、先ず小栗上野介の人と為りより説かんに、小栗は家康公以来有名なる家柄に生れ旗下中の鏘々たる武士にして幕末の事、すでに為すべからざるを知るといえども、我が事うるところの存せん限りは一日も政府の任を尽くさざるべからずとて極力計画したるところ少なからず、そのもっとも力を致したるは勘定奉行在職中にして一身を以て各方面に当り、彼の横須賀造船所の設立のごとき、この人の発意に出でたるものなり。
 小栗はかくのごとく自から内外の局に当りて時の幕吏中にては割合に外国の事情にも通じたる人なれども、平生の言に西洋の技術はすべて日本に優るといえども医術だけは漢方に及ばず、ただ洋法に取るべきものは熱病の治療法のみなりとて、彼の浅田宗伯を信ずること深かりしという。すなわちその思想は純然たる古流にして、三河武士一片の精神、ただ徳川累世の恩義に報ゆるの外他志あることなし。
 小栗の人…

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