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風俗時評
ふうぞくじひょう |
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作品ID | 46857 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集6」 岩波書店 1991(平成3)年5月10日 |
初出 | 「中央公論 第五十一年第三号」1936(昭和11)年3月1日 |
入力者 | kompass |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2011-07-13 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 48 ページ(500字/頁で計算) |
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一 医院
医師 どうも不思議だねえ。どこも、なんともないが、それでも痛むかね?
患者 痛むかはひどいですよ、先生、このしかめつ面がわかりませんか!
医師 もともとさういふ顔かと思つとつたよ。どれ、もう一度見せなさい。こゝだね、押へてちや駄目だ、手をどけなくつちや……。これで痛むかね? 痛む? どういふ風に痛むね?
患者 いやだなあ、口で言へるやうなもんぢやありませんよ。なにしろ、なにがぶつかつたんだかわからないんですからね。外からか内からかもわからないですからね。
医師 さうか。突然、急に痛み出したんだね。別に、誰もそばにやゐなかつたかね? 抓られでもしたんぢやないか?
患者 先生、戯談はよして下さい。抓る相手がゐれや、それくらゐわかりますよ。それに、指なんていふ生やさしい感じぢやありませんからね。かう、刃物でゑぐられるやうな、錐を突き刺されるやうな、かうなんとも云へない……。
医師 刃物も錐も使つた形跡はない。してみると、神経的なもんだ。
患者 神経だと、どういふことになるんですい? お宅の専門ぢやないんですか?
医師 いや、専門でないといふわけぢやないが、厄介だね。電気でもかけてみるか。
患者 心細い云ひ方をしないで下さいよ。電気にでもなんでもかゝりますよ、毒でさへなけや……。あ、痛た、た、あん時の事を思ひ出したゞけで、これですからね、その当座と来たら、眼がくらんで道ばたへ坐つちまひましたよ。
医師 道を歩いてたのかね。
患者 さつき、さう云つたでせう、お祭りの寄附を集めて廻つてたつて……。
医師 それや聞いたが、もう少し詳しく云つて見給へ。町内を一軒々々廻つて歩いたわけだね、ふむ、すると?
患者 すると、ほら、あの狸横町の左側三軒目に名取つていふ家があるでせう。名取氏高、尊氏のあべこべだ。あるでせう。中学の先生でさ。あの家へ行つて、へえ、今日は、お賽銭をどうぞつて、表から声をかけました。
医師 あの家なら、僕も一度往診したことがある。縁なし眼鏡をかけて、ちよつと綺麗な奥さんがゐらあ。
患者 それ/\、その奥さんつて女が、つんとすまして出て来た。――只今、たくがをりませんですから、あたくしではわかり兼ねます……。
医師 はゝあ、よほど出すもんと思つたんだね。
患者 あつしや、云つてやつたねえ。――なに、ほんのお賽銭ですから、お思召で結構です。すると、――お賽銭つて申しますと、こちらから持つて参るもんぢやございませんか知ら……。
医師 声色、うまいねえ。なるほど、その通りだ。
患者 ――いや、お賽銭と云つても、つまり、お祭のなんですから、町内の若いもんにおみ酒の一杯もふるまつてやつていたゞきたいんで……。――ですから、それなら宅とも相談いたしまして……。いや、奥さん、そんな大そうなことをお願ひするんぢやありません。…