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かんしやく玉
かんしゃくだま
作品ID46868
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集5」 岩波書店
1991(平成3)年1月9日
初出「週刊朝日 第二十巻第二号」1931(昭和6)年7月5日
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2008-04-16 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

彼女
隣の女
多田

小森
阿部
[#改ページ]

アパアトとは名ばかりの、粗末な貸室。左の隅にダブルベツド。右に炊事場に通ずるドア。正面に旧式のシンガアミシン。
三月のなかば。午後四時ごろ。
彼女は、ミシンの手をやめ、縫ひかけのローブを両手で胸にあてがひ、鏡の前に立つ。

彼女  (独り)なかなかいゝぢやないの。カーテンのお古だなんて見えやしないわ。

ドアをノツクする音。彼女は、黙つてドアを開けに行く。隣の女がバナナをたべながらはひつて来る。

隣の女  このいゝお天気にお留守番なの?
彼女  あなたこそ珍らしいわね、今ごろ、家にゐるなんて……。
隣の女  だつて、まだ早いぢやないの。さつき起きたばかりよ。これからお湯へはいつて、足の爪でも剪つてると、あの人が迎ひに来てくれるの。今日は、ことによると、鎌倉へドライヴだわ。
彼女  そんなの、羨ましかないや。あたしは、これから八百屋へ行つてトマトを買つて来るの。ちよつと、これ、似合はないこと?
隣の女  不断着ならそれで沢山よ。
彼女  (ローブをベツドの上に放り出し、テーブルの上の丸い鑵の中へ手を突込み、なにかを床の上へ叩きつける。爆音。)
隣の女  あゝ、びつくりした。なに、それは……。
彼女  疳癪玉……。
隣の女  こなひだうちから、パンパンいはせてるの、それね。どら、あたしにも一つ、やらして……。
彼女  駄目よ、あなたなんか……。これはあたしと、うちとの、二人つきりの玩具よ。持つて行き場のない不平が、これでけし飛んぢまふの。それや、清々するわよ。
隣の女  簡単ね。あたしは、何か気に入らないことがあると蒲団を被つて寝ちまふの。眼が覚めると、忘れてるわ。ちよつと、あんた、すまないけど、またヘチマコロン貸してくれない?
彼女  そこにあるから持つてらつしやい。(化粧テーブルの上を頤で指す)
隣の女  あら、もう一度分きりないわ。

隣の女が、ヘチマコロンの瓶をもつて出て行くと、彼女は、炊事場にはひる。やがて、両手にナイフを持ち、「守るも攻むるも」の節に合せて、刃を砥ぎながら現れる、何か探し物をするらしく、部屋中を一と廻りするが、そのまゝ、また炊事場にはひる。ドアをノツクする音。

彼女の声  どなた?
外の声  僕……。
彼女の声  僕ぢやわからない。
外の声  僕ですよ。わからないかなあ。
彼女の声  多田さんね。なんべん来たつておんなじよ。まだ帰つてやしないわ。

ドアが開く。多田現れる。

多田  奴さん、用がある時に限つてゐないんだから、始末にいけないなあ。
彼女  (現れ)ゐさうもない時に来るからわるいのよ。朝出て晩帰つて来るぐらゐのことはわかつてるでせう。
多田  不断はさうさ。だけど今先生仕事がないんだもの。
彼女  ないから探しに行くんぢやないの。
多田  (椅子に腰かけテーブルの…

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