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![]() なかつりゅうべつのしょ |
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作品ID | 46890 |
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著者 | 福沢 諭吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「福沢諭吉教育論集」 岩波文庫、岩波書店 1991(平成3)年3月18日 |
初出 | 「新聞雑誌 第37号付録」1872(明治5)年3月 |
入力者 | 田中哲郎 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2007-04-12 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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中津留別の書
人は万物の霊なりとは、ただ耳目鼻口手足をそなえ言語・眠食するをいうにあらず。その実は、天道にしたがって徳を脩め、人の人たる知識・聞見を博くし、物に接し人に交わり、我が一身の独立をはかり、我が一家の活計を立ててこそ、はじめて万物の霊というべきなり。
古来、支那・日本人のあまり心付かざることなれども、人間の天性に自主・自由という道あり。ひと口に自由といえば我儘のように聞こゆれども、決して然らず。自由とは、他人の妨をなさずして我が心のままに事を行うの義なり。父子・君臣・夫婦・朋友、たがいに相妨げずして、おのおのその持前の心を自由自在に行われしめ、我が心をもって他人の身体を制せず、おのおのその一身の独立をなさしむるときは、人の天然持前の性は正しきゆえ、悪しき方へは赴かざるものなり。
もし心得ちがいの者ありて自由の分限を越え、他人を害して自から利せんとする者あれば、すなわち人間の仲間に害ある人なるゆえ、天の罪するところ、人の許さざるところ、貴賤長幼の差別なく、これを軽蔑して可なり、これを罰して差支なし。右の如く、人の自由独立は大切なるものにて、この一義を誤るときは、徳も脩むべからず、智も開くべからず、家も治らず、国も立たず、天下の独立も望むべからず。一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし。士農工商、相互にその自由独立を妨ぐべからず。
人倫の大本は夫婦なり。夫婦ありて後に、親子あり、兄弟姉妹あり。天の人を生ずるや、開闢の始、一男一女なるべし。数千万年の久しきを経るもその割合は同じからざるをえず。また男といい女といい、ひとしく天地間の一人にて軽重の別あるべき理なし。
古今、支那・日本の風俗を見るに、一男子にて数多の婦人を妻妾にし、婦人を取扱うこと下婢の如く、また罪人の如くして、かつてこれを恥ずる色なし。浅ましきことならずや。一家の主人、その妻を軽蔑すれば、その子これに傚て母を侮り、その教を重んぜず。母の教を重んぜざれば、母はあれどもなきが如し。孤子に異ならざるなり。いわんや男子は外を勤て家におること稀なれば、誰かその子を教育する者あらん。哀というも、なおあまりあり。
『論語』に「夫婦別あり」と記せり。別ありとは、分けへだてありということにはあるまじ。夫婦の間は情こそあるべきなり。他人らしく分け隔ありては、とても家は治り難し。されば別とは区別の義にて、この男女はこの夫婦、かの男女はかの夫婦と、二人ずつ区別正しく定るという義なるべし。然るに今、多勢の妾を養い、本妻にも子あり、妾にも子あるときは、兄弟同士、父は一人にて母は異なり。夫婦に区別ありとはいわれまじ。男子に二女を娶るの権あらば、婦人にも二夫を私するの理なかるべからず。試に問う、天下の男子、その妻君が別に一夫を愛し、一婦二夫、家におることあらば、主人よ…