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続重病室日誌
ぞくじゅうびょうしつにっし
作品ID46907
著者北条 民雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 北條民雄全集 下巻」 東京創元社
1980(昭和55)年12月20日
初出「文學界」1937(昭和12)年12月号
入力者Nana ohbe
校正者富田晶子
公開 / 更新2016-09-22 / 2016-06-10
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 九月二十四日。
 お天気は良いのだが、腹工合はどうも悪い。もう三ヶ月あまり続いてゐる下痢がどうしてもとまらぬのだ。
 午後女医のN先生が来診。明日九号病室へ入室なさい、と。これで重病室へ這入るのは三度目である。前は七号で神経痛だつたが、今度は胃腸病だ。胃腸病なぞばかばかしいと思つていい加減にあしらつてゐたのがいけなかつたのだ。
 何にしても今年はろくな事のない年だ。正月元旦から神経痛でうんうん唸つてゐたし、その後も起きてゐる時よりも寝てゐる方が多かつた。ひよつとしたら今年のうちに息を引きとつてしまふんではあるまいかと、女医の帰つたあとで、ふと不安になつたりする。

 九月二十五日。
 よいお天気、涼しい風が吹いてゐる。
 朝、友人たち見舞ひに来る。彼等は余程僕を食ひしんぼと思つてゐるらしく、来ると必ず「余り食ひ過ぎるからだ。」と言ふ。
 入室は夕方なので女の人に頼んで虫ぼしをやつて貰ふ。重病室へ行つてしまふと当分舎へ帰ることもないので、ちやんと持物の整理をして置く必要があるのだ。
 柳行李の中には赤茶けた虫が何十匹となくもそもそと這ひ廻つてゐた。
 この春ナフタリンを入れなかつたし、虫も五六匹眼に見えたのだが、面倒なのでほつたらかしてあつたら、セルにも毛のシャツにも穴が幾つもあいてしまつた。ここにも生物の世界があつたのだと、その虫をぼんやりした気持で眺める。別段着物を食はれて惜しいといふ感じも起らず、かういふ虫ぼしなどしなければならぬやうな厄介なものはどうでもよいと思ふ。それにかういふ着物を着て歩くことも、自分の今後には多くないであらう。立派な着物も他所行きの服も、もう自分には用はないのである。
 部屋いつぱいにぶら下つた着物の幕の下に寝ながら、そんなことを考へてみる。
 夕食後入室。
 舎の連中が例のやうに蒲団をかつぎ、食器を※[#「竹かんむり/瓜」、U+7B1F、303-13]に入れて運んでくれた。久しく歩いてゐなかつたので、病室までの三四丁の道が体にこたへて、気が遠くなるやうな感じがする。病室に着いてベッドの上に仰向きになると、ぐつたりとして物も言ふ気がしなくなつた。
 寝たまま足許の窓越しに外を眺めてゐると、もう薄闇の降り始めた中を、蜻蛉が群をなして飛んでゐる。やうやく秋は深まつたのだ。自分が寝ついたのは六月、その時にはまだダリヤも百合も蕾であつたのに、今ははやコスモスが蕾をふくらませてゐる。蜻蛉をぼんやり眺めてそんなことを思つてゐると、不意に南天にすばらしい青い星が一つきらめき始めた。全く不意に輝き出したといふ感じで、おや、あの星は、と考へてみると、木星であるのに気がついた。金星は今は朝の星だ、それなら木星に違ひないと思ふ。木星が見えるなら今に土星も見え出すに違ひない。
 日が暮れて行くにつれて、木星の光りはますます鮮明になり、遊星らしく瞬きもせ…

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