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癩院記録
らいいんきろく |
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作品ID | 46917 |
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著者 | 北条 民雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 北條民雄全集 下巻」 東京創元社 1980(昭和55)年12月20日 |
初出 | 「改造」1936(昭和11)年10月 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2010-10-17 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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入院すると、子供を除いて他は誰でも一週間乃至二週間ぐらゐを収容病室で暮さなければならない。そこで病歴が調べられたり、余病の有無などを検査されたりした後、初めて普通の病舎に移り住むのであるが、この収容病室の日々が、入院後最も暗鬱な退屈な時であらう。舎へ移つてしまふと、いよいよこれから病院生活が始まるのだといふ意識に、或る落着きと覚悟とが自ずと出来、心の置きどころも自然と定つて来るのであるが、病室にゐる間は、まだ慣れない病院の異様な光景に心は落着きを失ひ、これからどのやうな生活が待つてゐるのかといふ不安が、重苦しくのしかかつて来る。それに仕事とても無く、気のまぎらしやうもないまま寝台の上に横はつてゐなければならないので、陰気な不安のままに退屈してしまふのである。
舎へ移る前日になると附添夫がやつて来て、舎へ移つてからのことを大体教へてくれ「売店で四五十銭何か買つて行くやうに。」と注意される。その四五十銭がまあいはば入舎披露の費用となるのであつて、たいていが菓子を買つて行つてお茶の飲むのである。
その日になると附添夫が三人くらゐで手伝つてくれ、或る者は蒲団をかつぎ、或る者は茶碗や湯呑やその他の日用品を入れた目笊をかかえてぞろぞろ歩いて行くのである。さうしていよいよ癩院生活が始まるのである。
×
病舎は今のところ全部で四十六舎、枕木を並べたやうに建てられてゐる。だいたい不自由舎と健康舎とに大別され、不自由舎には病勢が進行して盲目になつたり義足になつたり、十本の指が全部無くなつたりすると入れられ、それまでは健康舎で生活する。ここで健康といふ言葉を使ふと、ちよつと奇異に感ぜられるが、しかし院内は癩者ばかりの世界であるから癩そのものは病気のうちに這入らない。ここへ来た初めの頃、「あんたはどこが悪いのですか。」といふ質問を幾度も受けたが、それはつまり外部へ表はれた疾患部をさしてゐるのであつて、その時うつかり、「いや癩でね、それで入院したんですよ。」とでも答へたら大笑ひになるであらう。それは治療の方面についても言はれることであつて、癩そのものに対する加療といへば目下のところ大楓子油の注射だけで、あとはみな対症的で、毀れかかつた自動車か何かを絶えず修繕しながら動かせてゐるのに似てゐる。
だから、不自由舎へ這入らない程度の病状で、よし外科的病状や神経症状があつても、作業に出たり、女とふざけたり、野球をやつたり出来るうちは、健康者で、健康舎の生活をするのである。
不自由舎には一室一名づつの附添夫がついてゐて、配給所(これは院の中央にあつて飯やおかずはここで配給される。食ひ終つた食器はここへ入れて置かれる。)へ飯を取りに行つたり、食事の世話をしたり、床をのべてやつたりする。これは作業の一つで、作業賃は一日十銭から十二銭までが支給される。
舎は各四室に区分され…