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盂蘭盆
うらぼん |
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作品ID | 46969 |
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著者 | 北条 民雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 北條民雄全集 上巻」 東京創元社 1980(昭和55)年10月20日 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 富田晶子 |
公開 / 更新 | 2017-07-15 / 2017-07-17 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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一号室ではまた盆踊りの練習が始まつた。
「またも出ました三角野郎が、四角四面の櫓の上で、音頭とるとはおーそれながら――。」
さつきまで日支戦争の噂話で夢中になつてゐたのだが、それがちよつと途切れると突然一人がかう怒鳴りながら立上つた。すると勿ち戦争の話はけし飛んでしまひ、総立ちになつてどんどんと足を踏み鳴らし出した。
その声を聴きつけると、三号四号の連中もぞろぞろと集まつて来て、もう踊りの練習といふよりも乱痴気騒ぎであつた。果ては口々に自分勝手な唄を喚きながら、台所から持ち出されたバケツががんがんと叩かれるのであつた。
病気の重い者もあれば軽いのもある。奈落の底から聴えて来るのかと怪しまれる重症者の嗄声と、鬱積した精力を爆発させるやうな青年患者の叫び声とが交錯した。
畳の上にはばらばらと飛行機形に貼り合はされた絆創膏が落ち、それが遠慮もなく麻痺した足に踏みつけられた。十二畳半の部屋いつぱいに膿の臭ひがたちこめ、あけ放たれた窓から少しづつ雨の中に発散した。
盆までにはまだ一ヶ月に近い日があつた。しかし何時になつたら青い空が見え出すのか見当もつかないこの梅雨に、彼等はすつかり気を腐らせて、一日に一度は怒鳴つたり足を踏み鳴らせたりしなければゐられないのである。それはあり余る精力に野山を駈け廻つて吠え叫ぶ動物の群に似てゐた。
隣室の二号には急性結節で熱を出した病人が寝てゐた。病人から離れた片隅には今年六十三になる老人がぶつぶつと独言を呟きながら坐つてゐる。老人は銀の煙管を白く光らせながらゆつくりと吸つては呟き、呟きした。
「ほんになあ、若い身空でこんな病院へ這入つて、苦労も知らず、浮世の楽しみも知らんで、ちやらんぽらんちやらんぽらんと騒いで暮しとる。かはいさうなもんぢやわい。」
そして唇を尖らせて煙を吹き出すと、にやりにやりといやらしい独笑ひを顔に浮べるのだつた。若い時の道楽でも思ひ出したのだらう。夜になると若い者を集めて惚気を聴かせるのがこの老人の第一の趣味である。
病人はうつらうつらとしてゐる様子であつたが、隣室の叫び声に眼をさました。踏み鳴らす足音が畳を伝つてびりびりと頭に響いた。体温は三十九度四分、後頭部が痛むと見えて、彼は片方の掌を頭の下に入れた。そして苛立たしげな眼つきで隣室との境の壁を睨んで、
「座敷豚共!」
と呟いて布団の上に坐つた。寝衣が汗にぐつしより濡れて痩せ細つた胸を汗の玉がつるつると辷つた。
顔も手足も繃帯のぐるぐる巻きである。じつと坐つてゐるのだが、熱のためか上体がゆらゆらと揺れて、何か怪奇な機械人形の格好だつた。
「病室(重病室)へ這入つて養生したらどうかいのう。」
と老人が煙を吹きながら言つた。
「いまいつぱいだ。」
と病人は嫌悪の色を浮べながら老人を見た。物を言ふ気がしないと見える。
「さうかいのう。弱つたこ…