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鬼神
きじん |
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作品ID | 46972 |
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著者 | 北条 民雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 北條民雄全集 上巻」 東京創元社 1980(昭和55)年10月20日 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 富田晶子 |
公開 / 更新 | 2017-01-08 / 2016-12-17 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
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一 水の上
あれからもう三年経つた。考へて見ると、今更のやうに月日の速さに驚かされる。しかしあれはなんといふ奇怪な事件だつたことだらう。あれがあつてからまだ日の経たない時は、どうしたのか私はそれがさほどに陰惨な事件だとも思はないでゐた。ところが日が経つにつれて、私の思出の中で次第に陰惨な、いはば一種の凄みを帯びて来るのだ。とりわけこの頃では、眠られない夜など――私は毎晩眠られない夜を過してゐる――思はず叫び声をあげて誰かを呼びたいほどだ。記憶といふものは、それが宿された頭の中で、絶えず成長して行くものに違ひない。
ところで、私は今は結核サナトリウムの一室で寝たきりの生活を送つてゐる。もう間もなく息をひき取つてしまふに相違ないのだ。私の肺臓は、右も左ももう殆ど腐つてしまつた。そしてまだ残されてゐる、ほんの一破片でからうじて呼吸をしてゐる有様なのだ。私は肺病患者がどんな風にして死ぬかよく心得てゐる。ここへ来てからでも、もう幾つもさういふ死に方を見たのだ。中には癩病よりも浅ましい死に方をするのもある。全身に菌が巡つて、鼻も耳も腸も役に立たなくなつて死ぬのもあれば、たつた一言も物を言へなくなつて死ぬのもある。そして時には死んでからでもまだ口の中に一ぱい血が溜つてゐて、ちよつとでも屍体を動かさうものなら忽ち腐つた血がだらだらと流れ出る。どす黒い、どろどろした、おまけに嘔吐を吐いてもまだたまらないやうな悪臭を発散してゐるのだ。これが人間の死だと言へるだらうか。
とはいふものの、私は自分がこんな風になつて死ぬのを、むしろ喜んでさへゐる。こんな風になつて死ぬのがわれわれ――複数を使つて置く――には相応しいのだ。私がこんな風になつたといふも、やつぱりあの事件のためだと思はれる。あれ以前から、私はたしかに結核患者に違ひはなかつた。しかしその頃はまだぴんぴんはね廻つたり、ボートを漕いだり、一口に言へば殆ど病人ではなかつたのである。病気は進行を停止してゐたし、医者も、もう大丈夫だから学校へ通ひ出すやうに、と言つてゐたくらゐだ。私は高等学校の学生だつた。
しかしどうやらもう前置を措いていいところへ来た。おまけにボートといふ言葉を語つてしまつたからには、早速事件に移らねばならない。凡てはボートから始まつてゐるのだから――。
私が発病したのは、高等学校を卒業する前の冬のことだつた。ある夜――それ以前から風邪気味だつた――ばかに咳が出て、ハンカチを見ると血がついてゐたのだ。私は早速医者に見せた。するとまだ始まつたばかりの病気だから、心配するほどのこともない、と言つて、しかし学校はしばらく休んだらどうかとのことだつた。私は学校を休むのは嫌だつたが、しかしまた考へて見れば毎日面白くもない教師の顔を見るのも倦きてゐたので、それから半年ばかり府下の小さなサナトリウムへ這入ることにした。…