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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん |
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作品ID | 47007 |
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副題 | 69 馬専門の彫刻家のこと 69 うませんもんのちょうこくかのこと |
著者 | 高村 光雲 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店 1995(平成7)年1月17日 |
入力者 | 網迫、土屋隆 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2007-05-05 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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そこで、彫刻製作となるのですが、岡倉校長は、主任は高村光雲に命ずるということであり、それから山田鬼斎先生を担任とすることになった。すると、ここで一つ主任としての私に問題が起って来たのであります。
それは、何かと申すと、楠公は馬上であるが、馬の産地も分らぬということ……出来上がる大きさはというと、馬上で一丈三尺、馬の鼻から尾の先までが一丈八尺というこの大きな馬をまず自分が手掛けてやるとしてどうであるか、これはなかなか容易なことではないと申さねばならぬ……そこで当然思い出すのは後藤貞行氏のことです(後藤氏のことは前に狆の話のところでちょっと話して置きました)。後藤氏は、馬の後藤という位馬専門の人である。それ故、いよいよ手を附けるとなれば、是非とも後藤氏に相談してその助力を借りなければならない。「私は今楠公の馬をやり初めた。どうか御助力をたのみます」といえば氏は喜んで相談に乗ってくれましょう。また頼まずとも、先方から話を聞けば乗り出して来ても手伝いましょう。もしそうなるとすると、私は、自分で不安心なものを、人に手伝わせ、その助力を借りて製作するということになる。そうして、それが仮りに上手に出来たとして手柄は誰のものになるかということを考えると、後藤氏の骨折りは全く蔭のものになってしまう。どうで後藤氏の骨折りを借りなければならぬものとすれば、私の考えとして、どうも後藤氏の骨折りを殺すということは情において忍び得られぬところである……とこう私は考えたのであった。
で、これは後藤氏をハッキリと公のものにして表面へ立たせたいという考えが私の肚に決まったのでありました。これは当人の後藤氏の思惑は分らないが、私の良心としてはこう切に思われる。この事が単に私用的の仕事で、馬を彫るということならばとにかく、宮内省献納品で、主題は楠公、馬の大きさは前申した通りの大作、これほどのものを作るのであるから、私は、日頃から、後藤氏の口癖にもいってる言葉を思い出してさえも、これは打っ棄って置くべきことでないと思ったのであります。氏は、「自分は、多少の余財を作って等身大の馬を製えて招魂社にでも納めたい」というのが平素の願望で、一生に一度は等身大以上の大作をやりたいという希望は氏が常に私に話されていたのであります。こういう志を持っている人を蔭に使って、その出来栄がよかったとして、後藤氏の立場はどうなるか……こう思うと、もう私は矢も楯もたまらなくなって、この事は是非とも解決しなければならないと心を決し、その晩、急に岡倉覚三先生方へ出掛けて行ったのでありました。
その頃の岡倉先生宅は根岸であった。夜分の来訪、何事かと岡倉さんは思ってお出でのような面持で私を迎えました。
「今夜は一つお願いがあって参りました」
そういう私の意気組みが平生と違っていたと見え、
「そうですか、何かむずかしいこ…