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山陰の風景
さんいんのふうけい
作品ID4703
副題――歌になるところ――
――うたになるところ――
著者木下 利玄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 西日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-09-21 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 山陰と云つても、東は丹後但馬から西は石見に及んでゐて、區域が廣いからさし當りここでは、但馬の城崎附近を書いて見よう。
 又歌になる所と云つても、好い眼さへ持つてゐれば、何處にも詩は見出されるのだから、今は私に興味があつた處をあげてゆくに止める。

    城崎温泉

 城崎の町は、山陰線が北上して、日本海の海岸へ出ようとする一里ばかり手前で、西へ折れてゐる、其曲り角の處に當つてゐる。
 私がここへ行つたのは、大正五年六月の梅雨季だつた。京都から、午後の汽車で立つたが、丹波の國の山間を通過して、だんだん北の方へと走るのは、非常に淋しい氣持だつた。
 螢の飛びちがつてゐる峠路や、寂しい停車場前の小さい旅館の灯、大江山へ何里などと書いてある驛の名所案内の白い札、踏切に待つてゐる田植歸りの百姓の家族、山際の殘照、月見草の花、それらが車窓から私のセンチメンタルになつた心に映つて、過ぎて行つたのを今でもはつきり思ひ出す。
 その淋しさが極つた頃、城崎驛へついて、俥で狹い明るい町を、四五町宿やへ曳かれて行つたが、一種の物珍らかななつかしい印象を受けた。其狹い町の兩側の温泉宿の、細格子のはまつた二階三階の明るい燈火や土産物を賣つてる店の品物を照らしてゐる電燈、その間を流れてゐる町中の小川等の感じは、何となく芝居の書割を聯想させるやうな、又、廓を思はせるやうな、一種まとまつた、ハイムリッヒな、好い心持だつた。
 其夜は宿屋の往來に近い一室に寢て、町を往來する下駄の響を耳にしつつ眠りに就いた。
 此汽車で梅雨期の山陰道へ入つて行つた感じ、夜の温泉町の明るい印象、其夜の旅愁、これらは歌にしようとして、自分もまだ歌ひこなせないでゐる。

 私の滯在中に盂蘭盆が來た。盆の夜は、町の橋の上で、土地の男女が編笠や手拭をかぶつて、鄙びた稍[#挿絵]みだらな感じで踊つてゐたのを思ひ出す。その邊は、浴客の見物もあつて、ひどく賑やかだつたが、町をはづれて、圓山川といふ川岸の方へ出て見ると、小高い墓原に燈籠がついてゐて、そこにはそこで、子供もまじりなどして、村の若い衆が踊つてゐるのを見た。そして月は、これらの人間の上に、靜かに冷やかに照つてゐる。私は此墓場にある燈籠からは深い感じを受けた。かかる村の、かういふ風な習慣の中に、生れては死んで行つた、何代もの人々の事を考へると、今更生々しく人生の寂しさに觸れるのを覺えた。

 盆の十六日には、家に祀つてあつた、精靈の眞菰や供物を、小さい舟形に、趣向を凝らして仕立てたのに、幾本も蝋燭を立てて、町中の小川へ流す。精靈船にはその家の定紋をつけた帆を揚げてゐるのもあるし、又蓮の花びらが、舟一ぱいに撒き散らされてゐるのもあつた。流された舟が、自分の蝋燭で明るみながら、暗い川尻の方へ流れ漂つて行くのは、何となく、精靈の歸つて行く冥途といふやうなものを暗示させられ…

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