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淡島寒月のこと
あわしまかんげつのこと |
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作品ID | 47087 |
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著者 | 幸田 露伴 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「露伴全集 第三十卷」 岩波書店 1954(昭和29)年7月16日 |
初出 | 「東京日日新聞」1938(昭和13)年6月4日号、5日号 |
入力者 | 土倉明彦 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2007-10-10 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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吾が友といつては少し不遜に當るかも知れないが、先づ友達といふことにして、淡島寒月といふ人は實に稀有な人であつた。やゝもすれば畸人の稱を與へたがる者もあるが、畸人でも何でもない、むしろ常識の圓滿に驚くばかり發達した人で、そして徹底的に世俗の眞實が何樣なものであるかといふことを知盡した人であつた。しかも多くの人は苦勞をしたり困難に出會つたり、痛い思や辛い目を見たりしてから、はじめて浮世の鹽辛さを悟るのであるが、別に人生の磨[#挿絵]に逢つたといふこともないらしい生活を經て來て、夙く然樣いふ境地に到り得てゐたのであつたのは、裏面の消息はもとより知らぬが、蓋し天稟の聰明さが然らしめたのであらう。
それで何人に對しても極めて平等に、また温和に、支那流にいつたら、いはゆる一團の和氣を以て人に接した人であつた。かりそめにも人を強ひたり人を壓したりするやうなことはその氣味さへ見せぬ人であつた。勿論自分も人に干渉されることや、また強ひられるやうなことは甚だ好まなかつた。どこまでも他を一個の人として存在させ、自分も一個の人として立ち、そして同じ日月の下にこの生を了せんとする、といふ調子をもつて終始してゐた。で、交際も餘り深入りすること無しに淡[#挿絵]と淺い川の水が清く流るゝやうに濟ませて行くといふ人であつた。そのあつさりした風格は或種類の人には冷淡だなど評されもしたが、よし冷淡であつたにしても、それはたゞ相互の自由を尊重するところから出たものであつた。天成の自由人であつたのであり、且善良であつたのであり、そして自分は自分の趣味を自分の生命としてゐたのであつた。人に迷惑を掛けないで、自分でおとなしく遊んでゐるのに越したことは無い、といふのがその欺かざる信向であつた。
ところでそのおとなしく遊んでゐるのが、泥繪具で汚らしい拙いやうな畫を寫實にも寫意にも筆法にも何にも拘らはずに描いたり、先史時代の土器のやうなものを造つたり、古風な家具を[#挿絵]樸な方法でこしらへたり、狹いところへ自然生の雜木に篠をあしらつて、田舍の野原の端か、塚原の末のやうな庭を作つたり、筆墨に親しんで日を送ることの多いにもかゝはらず甘泉宮や長樂未央の瓦でも何でも無い丸瓦の裏を硯にして使つてゐたり、室内の造作を薪のやうなもので手ごしらへに歪みなりに埒明けたりして、それで面白がつてゐたので、普通の人は畸人だと噂したものなのだ。しかしその異樣なる物の中に、人をして面白いと思はせることも勿論あつたのである。
何でも彼でも自分でして見たのであるが、「疊ばかりは別に面白いわけには行かなかつた」と或時語られたのを聽いたことがあつた。して見ると疊までも手製を試みたのかと驚かされた。手染め澁染の衣は、これは慥に畸人の大槻如電と相客になつた時、流石の如電先生もその澁臭いのに悲鳴を擧げさせられたといふ。
君は何でもない人が…